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コラム夏の旅日記。端っこの心意気。鹿児島<後編>「恐るべし、薩摩パワー」
メインイベントは「仙巌園」見学
私たち夫婦は、旅行に行くときにあまり計画を立ててない。旅行に行くことは決められても、あっという間に当日になってしまって、何も決めらていない、というのが真実だけど、だいたい何も決まってない。でも、今回は短いスパンの2回目だし、ガイドブックも買って、テーマを決めた。「薩摩藩を学ぶ」である。なんとも、中年で地味な私たちらしい(笑)。来年の大河ドラマは西郷隆盛だし、ちょっと予習をしておこうと言うワケ。
それで、向かったのは仙巌園。「せんがんえん」と読む。ここは前回行けなかったし、なんと、世界遺産。「明治日本の産業革命遺産」といって、2015年7月5日に世界遺産リストに登録されたばかり。長崎の軍艦島がよく話題になるけれど、その時には、この仙巌園のほか、山口県や静岡県など、さまざまな文化遺産が登録されています。
とはいえ、仙巌園は「磯庭園」とも呼ばれる薩摩藩の別邸。なぜ、軍艦島とひとくくりにされて、世界遺産にまとめられるのか。
そこに、私の知りたい、薩摩藩の底力があるのです。
ここからは、ちょっと歴史のお話にお付き合いくださいませ。
この仙巌園は、とてつもなく広~い庭と大きな日本建築(御殿)からなる。敷地面積5ヘクタールものお屋敷。今は、お土産屋さんとか、ミュージアムなどが立っているけど、昔はきっと今よりももっともっと広大な庭だっただろう。
目の前には錦江湾と桜島、そして背後には切り立った山が迫ってくる立地。位置的には、鹿児島中央駅から車で20分くらい走った、市街地からさほど遠くない場所にある。
作ったのはもちろん、薩摩のお殿様。島津光久(19代当主=2代藩主。*)によって、1658年によって築かれたそうな。関ヶ原の戦いの半世紀後。大阪冬の陣も夏の陣も終わって、もう戦の時代ではない。これから長く続く江戸時代が、最初の落ち着きを見せるころかな、と想像してみる。長く続いた血なまぐさい戦国の世の終わり、大きな別邸を作るほどに気持ちもお金も(?)余裕があって、平和な時代の夜明けを象徴しているような穏やかさ。
*薩摩藩の藩主は、関ケ原以降を正式に数えるのだそうです。薩摩の島津家そのものは、鎌倉時代から、薩摩・大隅・日向のあたりの守護という御家柄なので、当然ながら当主の数が多い。
薩摩藩の本拠地となる城は鹿児島城(通称「鶴丸城」)。仙巌園よりも市街地より。西郷隆盛が最後にたてこもった城山のふもとにあり、なんと、天守閣のない、平城タイプ(*)。薩摩と言えば、九州の雄よ。なのに、堀はあっても天守閣はない。なんで? 時代劇を見ていて、へんだなぁと思っていたのだけど、ないのです。館(やかた)スタイル。
その理由は、wiki調べによると、江戸幕府への恭順の意を示すためだったとか。城を建て始めたのは、1601年。関ヶ原の戦いの直後。関ヶ原の戦いでは、島津は西軍(石田光成側)に属して負けているから、そうそう派手なことはしにくかったのでしょうかね。とはいえ、いざとなれば、背後の城山に逃げられるので(その名も〝城〟山)、絶妙な配置と妙に納得。実際に、西郷隆盛は城山の洞窟に立てこもるわけだし。
*城山も含めて「平山城」としたりする説もあるらしい。つまり諸説あり。
話がそれました。その本拠地である鶴丸城から、お殿様が船でやってきていたという仙巌園です。
庭には巨石で作った石灯籠があり、こんなのどうやって運んだんだろうか。
裏山の大きな一枚岩(本記事1枚目の写真の山に小さく見える岩)には「仙尋巌」と白い文字。アップ写真がコレ!これ、人が彫ったのです。こんなところに、どうやって??
とにかく大規模。海に向かって立つ、大邸宅です(どうしても「大」という字が連続する…)。しっかし、夏の炎天下、庭園を歩くなんて…想像を超えました。ものすごい暑さ。射すようなというか、押してくるような太陽の光。おかげで途中で食べた鹿児島名物「白熊アイス」が最高に美味しかった。これも夏ならでは、というべきか。
仙巌園の入場料(1000円)と別に、御殿見学のオプションツアー(プラス600円)にも申し込みました。御殿は、明治時代に鶴丸城が焼失してからは、島津家の住まいになった時期もあって、いわば、お殿様のお宅拝見! 着物を来た女性が、細かく説明しながら案内してくれ、お抹茶とお菓子をいただいたりして、雰囲気もばっちりです。
御殿は平屋建ての大きな日本家屋で、廊下も畳。海と桜島が見える部屋がもちろん、お殿様のお部屋です。お殿様の居住空間は一段高くなっていたり、釘隠しのモチーフが桜島大根やコウモリ(実は縁起がいいものらしい)だったり。ここに、島津斉彬とか西郷隆盛も来たのかしらね~、来ただろうね~と、妄想しながら歩くと、たまりません。ほんの、たった、160年くらい前ですから!
なぜ、ここが「産業革命遺産」なのか
さて、今回の旅のテーマ、「薩摩藩を学ぶ」ために、ここに来た理由は、本当は、この御殿や庭園の方ではなくて、この広大な敷地の中で、行われていた近代化の事業を知ることが目的。ここ、仙巌園には、世界遺産に言われているような、「産業革命遺産」が多く残されています。
それには、幕末の歴史を紐解かねばなりません。僭越ながら、ざっくり説明しますと・・・
幕末と言えば、メインキャストは、薩摩と長州の人々が多いですよね。その薩摩藩の中心人物の一人が、西郷隆盛を見出した島津斉彬(「しまづなりあきら」と読みます。11代藩主で28代当主)です。
彼は藩主になると、この仙巌園のある広大な土地にいろいろな工場をつくる一大プロジェクト「集成館」を始めます。鉄、ガラス、造船、紡績…。美しい(そして高価な)薩摩切子も、その1つです。
島津斉彬が藩主になったのは、1851年。海に面した薩摩に伝わったのは、1840年のアヘン戦争で、清国がイギリスに敗れ、不平等な条約を結ばされたことだったでしょうし、1853年には、ペリーが浦賀にやってきます。
この仙巌園から海の向こうに見た大国の気配。というか、きっと、薩摩には足音が聞こえていたのです。
仙巌園の門を入ったところに、いきなり鉄製の大砲がどーんと置いてあります(もちろん復元)。
ここには、反射炉という鉄を溶かす炉がありました。大名の庭園に工場って、似合わない気もしますが、それだけ、いかにも、殿様直轄事業って感じがしますね。
そして、その近代化の実力を試す日は意外と早くやってきます。斉彬が亡くなった(1858年)あとの、1863年。薩摩藩とイギリスが錦江湾で戦いになります。「薩英戦争」です。
鹿児島県対イギリスなんて! 今では到底、考えられません。でも、当然本気です。
この時代、世界の大国として君臨していたイギリス。薩摩藩の近代化事業で作り出した砲台がどの程度活躍したか…。いろいろ調べてみると、イギリスにも打撃を与えますが、薩摩藩も大きな被害を受けます。街が焼かれ、集成館も破壊されてしまいます。これにより、薩摩藩は「攘夷」が難しいことを悟り、明治維新の方向性が変わっていく…。そんな歴史の舞台が、このあたり、なのです。 この薩摩の経験が、それに続く日本の歩みに影響を与えていったのですね。
今、仙巌園に行っても、その戦いの痕跡がある、というわけではありませんでした。でも目の前に広がるのは、当時と変わらない錦江湾と桜島の景色。今のようにインターネットがない時代に、その向こうに世界を感じたなんて。薩摩の人はすごいな、としみじみ思いました。
集成館の事業や薩摩藩の歴史については、仙巌園のとなりにある、「尚古集成館」に展示してあります。そちらでゆっくり展示を読んでお勉強して(クーラーがきいていたもので。。。)、両方の場所で、たっぷり3時間ぐらい使いました。
さらに、近くに薩摩切子の工場とギャラリーがあり。こちらも見学。実演はその日にはしていなかったので、ビデオで作り方をお勉強。なぜ、高価なのか、よ~く分かりました(笑)。ちょっとお土産に1つ…という気軽なものではありません!そんなことも知らず、訪れたのですけど…。目の保養になりました。
鹿児島グルメ。魅惑の豚骨ラーメン「こむらさき」
すごいね!すごいね!と、歴史好きの私にとっては、濃密な午前中を過ごし、市街地へ戻り、腹ごしらえ。
「鹿児島に行ったら何を食べたらいい?」と、お茶のお稽古に来ている、鹿児島出身の人に聞いたとき、「こむらさきのラーメン」をオススメされていたので、直行。
天文館というアーケード街にある本店へ。昭和25年創業というので、古い建物かな?と思っていましたが、とってもきれいなビルでした。メニューは、ラーメンとご飯のみ(大盛りとかチャーシュー入りとかは選べたかな)。いさぎいい!
1階の真ん中にオープンキッチンのような厨房があって、そこをぐるりとカウンターが囲んでいます。丸見えのキッチンで、女性が麺をゆでて、テーブルの上に並べたラーメンどんぶりにどんどん入れていって、そこへ、男性が茹でたキャベツや、シイタケ、ネギ、チャーシューなんかを手際よく入れて、スープを流し込む。テキパキとした流れ作業が完璧。
そして食べてみてオドロキ。豚骨スープなのですが、福岡で食べる豚骨スープとはちょっと違います。もちろんキャベツやシイタケは、福岡のとんこつラーメンには入っていませんので、そのせいかな?と思ったり。いやいや、なんだか、スープの後味が違うのです。独特。なぜ?豚が有名だから、やっぱ鹿児島の豚骨は一味違うのかな?? 看板には、「豚骨、カルビ、丸鶏、椎茸、昆布を煮込んだスープ」と書いてありました。なるほど、これが鹿児島の豚骨ラーメン! よくよく知っている福岡・長浜の豚骨ラーメンとは、全然別のものとして味わえて、楽しめました。しかもキャベツが入っているので、なんだか健康的(笑)。チャーシューもさすが鹿児島、豚肉感がちゃんとあります!黒豚ですから。
これが鹿児島の豚骨ラーメン全体の特徴なかしら。もっといろいろと食べて回らないといけませんね(また鹿児島に来なくては…)。もしそうなら、鹿児島の人が福岡の豚骨食べたら、逆の感想を持つのかも。物足りないと思うかもしれんなぁ~。でもそれはそれで味わってね。
このあとは、桜島を車で一周。さらに、夜は居酒屋で普通に唐揚げを食べ、再び大浴場でいい気分になって就寝。(夜泣き蕎麦は食べなかった)。翌日は霧島神宮、焼酎蔵の見学、と盛りだくさん。夏の鹿児島を満喫して大阪空港へ帰ったのでした。
九州という島の最南端で、世界を見て、日本を見た薩摩の人々。知れば知るほど、幕末から明治の人たちって、真剣さが違うなと感心します(この心意気、現代の政治家の方々にも…)。とにもかくにも、暑い鹿児島も体感しておいてよかったです。きっと、来年の大河ドラマがより楽しめるでしょう!
今回お勉強したことをまとめると、こんな感じ!
黒板で雰囲気出してみました(笑)。
長文にお付き合い、ありがとうございました!
仙巌園にて! アツッ!
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