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コラム

「普通」の中にこそ。―ハンバーグ待ちの考えごと

ペチ、ペチッと手のひらに肉が当たる音がしたと思ったら、
成形された塊が、次々に鉄板にスッと滑り込む。

しばらくして、チリチリと油が跳ねる音が聞こえてきた。
シュッ、チリチリチリチリ、
シュッ、チリチリチリチリ。
ヘラでハンバーグがひっくり返される。

カツッ、ジョワー
というのは、鉄板に生卵を割って目玉焼きを作る音。

タッタッタッと、包丁がまな板に当ったら、キュウリが同じ薄さにスライスされた。

耳をすますと、
待っている間も、お店の中に響く、おいしそうな音。

「きっとおいしいだろうな」と期待が大きくなる。食べたくなる。

今日の昼ご飯は、洋食屋さんのハンバーグ。
先日、NHKで、「ノーナレ」というテレビをやっていました。
ノーナレーション。ナレーションなしのドキュメンタリー番組。
ナレーションはなくても、テロップが入ったり、セリフがあったりして、話は進行していきます。

その番組で、工場の音(ばねを作る機械の音、ねじを作る機械の音など)と映像を、テクノミュージックを融合させて、プロモーションビデオを作るクリエイターたちが取り上げられていました。

繰り返し、繰り返し、機械は同じ動きをしているのですが、それを、上手に編集すると、なんだかすごくかっこよく見えます。

こんなふうに表現することもできるんだと、驚きました。それは、それで面白かったのですが、

でも、印象に残ったのは、その工場で働く人たち。

「どんなところにこだわりが?」「やりがいは?」「苦労することは?」

みたいな質問をされても

「そんな・・・いつもやってることだから」
「当たり前だけど、不良がでないようにすることかな」

と、あまり華やかな答えは出てきません。
かっこよい答えはなかなか出てきません。

 

これ、私もよくやります。

 

何か、個性が感じられることや、おぉ!と思われるようなことが、欲しいのです。

完成形に必要な具を集めてしまうのです。

でももし、私が誰かに「何かこだわりは?」と聞かれたら、
「間違わないように」とか
「丁寧に」とか、言うでしょう。

当たり前ですけど。
それでいいのではないか、と最近思うようになりました。
もちろん、その答えの意味をもっと掘りさげて聞くことも、あります。
そうすると、その人の本質にかかわるようなことがあったりもするので、
深掘りをやめましょう、というのではありません。
「普通に、普通のことを、ちゃんとする」ことを、もっと大事にしてもいいと思うのです。

きっと、その普通の中にこそ、なにか、あるのです。

それが、大きな秘密でなくたって。

 

 

 

ハンバーグが焼けるまでの間、そんなことを考えていました。

真っ白な、背の高いコック帽をかぶった男性が、鉄板のハンバーグに向き合っています。
コロッケのタネを丸めて、パン粉を付けて。
エビを冷蔵庫から出して、パン粉を付けて。
フライも、注文が入ってから作るようです。

丁寧に、おいしい料理が出来上がるように、注意を払って。

 

運ばれてきたハンバーグは、焼く前に丸めていた肉の大きさよりも、きゅっと引き締まっていました。

お箸で割ってひと口食べると、ふんわりと、柔らかく、ジューシー。

 

いろんな秘密やこだわりがあるのかもしれない。

その話を聞く機会があれば、それはそれで聞いてみたい。

でも、秘密なんかなくたって、このおいしさはこの人の、この店のもの。

 

もう一口。
あぁ、やっぱり。おいしい。

おいしい音が毎日響くこの店に、この味を食べにこようと、きっとまた思うと思うのです。

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