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コラム

ベトナムのこと

鶏肉の骨、なんかの袋、ペットボトル。
道にはいろんなものが落ちている。水、ではないなという感じの液体もアスファルトにしみている。歩道の端に座っていたおじさんが赤いビニールを車道側へ投げた。

その地面からわずか50㎝くらいの高さの座面のプラスチックのイスを並べれば、そこはたちまち食堂となり、カフェとなる。人々は道端で、フォーを食べ、タニシの肉詰めを食べ、山盛りのパクチーを食べる。食べるだけでなく、作る。野菜を洗い、肉を切る。皿も洗う。

ハノイの旧市街は今まで見たどんなアジアの街よりも、みんながいつも何か食べていた。
このベトナム感に浸るべく、チェーの店に行った(入ってはいないが、店の前は店だ)。
こういった店にはレジなどない。店主らしき人が札束を片手に店の前に立っている。
ベトナムには、たくさんの種類のお札がある。1000ドン、2000ドン、5000ドン、1万ドン、2万ドン、5万ドン、10万ドン、20万ドン、50万ドン・・・・。1万ドンが日本円でいうと50円少し。
コインもあるらしいがほとんど流通していないようで、一度も見なかった。
このお札を種類別に並べ、片手で握りしめている。お金を払うと、その種類のお札の場所に差し込み、おつりを抜き取ってくれる。少しずつ色が違うお札のグラデーションができていて、位置と色でなんとなくお金のありかが分かるらしい。
ベトナムに来てすぐに、このお札の種類の多さに、頭が混乱した。

ピンクの丸いのや蛍光グリーンの細長い寒天のようなものが入ったチェーを、歩道に並べたイスに座って、汗をかきながら食べた。
ココナッツミルクが甘い。このカラフルさは何由来の着色だろう。なかにはクラッシュした氷が入っていた。これが溶ける前に食べ終わらなければ、お腹を壊してしまうかもしれないと思うと、いろいろ考えずにさっさと食べようと思った。
車と原付バイクのクラクションをBGMに、チェーを食べ、日本の幼稚園椅子くらいの高さから世間を眺める。生ぬるい風が、汗びっしょりの肌をなめてほんの少し乾かした。

ベトナム人にはそんなに大きな人はいない。タテもヨコも。みんな小柄で、欧米で見かけるような肥満体系の人はほとんどいない。そのすらっとした人々が原付に乗って、道をブイブイ走る。
車の4倍、5倍…とにかく無数の原付バイクが走り、3人乗り、4人乗り、多人数乗りをしている。
警察がいても取り締まっている風ではないので、問題ないのだろう。そもそも、原付バイクのイスが日本のものより長い。私の両眼には、これまでの人生で最も多い数の原付バイクが車に混ざって道を走る光景が映っている。信号はあまりない。多分停止線もないんじゃないか。右左折も、合流も、なんとなくやっていく。
その合図か、「ここにいるよ」って具合にクラクションを鳴らす。時々車が「どいてどいて」と、大きな図体から大きな音を鳴らす。ぶつからないのがまさに奇跡。無秩序な秩序が保たれている。
体の血管の中を赤血球や白血球が巡る図が思い浮かんだ。

そこをだ。人も渡る。常に命がけ。
飛行機の中で読んだガイドブックに「スリやひったくりに注意だが、車や原付バイクにぶつからないように気をつけよ」と書いてあった。
こういうことか、と思った。ルール好きな日本人にとって、これほど難しいことはないのでないかと思う。
だが待っていても誰も道を譲ってはくれない。幸いこれだけの交通量だ。飛ばしている人はおらず、おおかた30㎞程度。
ドライバーのほうを見て、道を1歩2歩と、渡り始める。
ここは血管の中。血は常に流れている。だから止まってはいけない。常に前だけに進む。
そうすると、近づいてきた原付は、あるタイミングから渡る人の後ろへ後ろへと入っていく(だから人が止まったらぶつかるし、後退は厳禁)。ハノイの旧市街では車はそう多くないので、車の少ないタイミングだけをはかったら、ハノイ式道路横断ができる(ホーチミンでは車も多いのでさらに難しかった)。
ホテルのスタッフがタクシーに私を乗せてくれるとき、右側に立って、右手を広げて原付をセーブしていた。こうすれば、原付の波をうまくかき分けることができるというわけだ。
不思議と、1日いるとこれができるようになる。
歩道の小さなイスに座ってスイーツを食べたり、車やバイクが通る道を果敢に渡ったり。エキサイティング、この上ない。

5月のベトナムは暑い。雨季の入口というが、雨はまったく降らなかった。
だがとにかくジトジトしている。気温は30度前後、湿度は80%前後か。
クーラーのきいたホテルから一歩出れば、すぐに髪の毛はおでこに張り付き、背中を汗がつたい落ちる。
顔は暑さでほてって、風呂上がりのような状態になる。

それなのに、道で飲食をする。その理由は簡単だ。店の中より、外のほうが涼しいのだ。
歩いているとどの家も窓は開いていて、クーラーの室外機がある家なんかは少ない。というか、多分ほとんどない。どこも扇風機をブォーンと回して、涼んでいる。
それにクーラーがある大型店に入ってもさほどきいていない(バンコクだったら、店に入って冷気にあたった途端、血管がきゅっとなるくらいきいているのに)。
そのためか、どの店も、店主らしき人が店の前に例のイスを出し、座っている。
だったらもう少しごみを捨てるのをやめて、清潔にしておいたほうがいいだろうにと思うが、そこにはいまのところ関心がないのかもしれない。道は、道で、キッチンで、ダイニングで、店だ。

街は緑にあふれている、街路樹が茂り、公園の花壇には南国色の花が咲いている。
竹の前後に下げたカゴに果物や豆腐を入れて売っているおばちゃんが歩いている。
自転車タクシーのおじさんがどこ行くの?と声をかけてくる。
道にはたくさんの人があふれ、何か食べている。
暑くて、むしむしした、もわっとした空気に排気ガスの香りが混ざる。
クラクションが鳴る。

「雑多」というのは、こういうことだろう。

父親に話すと、「日本も昭和30年代くらいは、そんな感じだった」と言った。

戻ってきてしまうと、整理整頓されきった街が、なんだか物足りないような気がしてくる。
私の国は何かをなくしちゃったのか、それとも得たのか。
烏丸通の横断歩道の前に立ち、信号が変わるのを、ちゃんと待ちながら、そう思った。

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