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コラム

本屋さん、という仕事。「ガケ書房の頃」を読んで。

私が京都に来た10年ほど前。白川通りを車で走っていて、石がたくさんはまった壁から車が突き出した外観の店を見かけた。「何の店だろう」とは思ったものの、まさかそこが本屋さんだとは思わなかった。だけどそこが「ガケ書房」という書店で、なんだかサブカル系の本が置いてあるらしいという情報を得るのに、さほど時間はかからなかったと思う。京都で発行されているいろいろな雑誌に紹介されていたから、どれかにそんな風にかいてあったのかもしれない。ますます興味は募った。だが、なんだか「サブカル系の」という情報が私の足をとおのかせた。私はちっともサブカル系ではなかったので…。
そして、結局訪れないままに、誰かのFBで「ガケ書房が移転するから、あの石がもらえるらしい」という書き込みを見た。「有名なお店だったのに、どうしてだろう?」と思った。また興味は湧いたものの、「今まで一度も行ったことがないのに、移転するからって行ってみるってのも、失礼な話かな」と思い、結局ガケ書房の中には足を踏み入れることはなかった。
そうこうしていると、ガケ書房は「ホホホ座」という名でオープンするらしいということをこれまた誰かのFBで知った。ようやくホホホ座へと行き、山下さんと、一緒にホホホ座を営む松本さんに会う機会に恵まれたのが、今年の初め。「リビング京都」の取材だった。
私は山下さんに正直に「ガケ書房に行ったことがないこと」と、その理由が「サブカル系だと聞いたから」と告げた。そうすると山下さんは笑って「そんな風によく言われるけどそんなことなかったんですよ」と言った。情報ってほんと恐ろしいな。何かの雑誌にちょこっと書いてあった「サブカル」の言葉のせいだ。行ってみたら良かったと思いつつ、今度は「なぜ、ガケ書房をやめてしまったのか」が気になって、そのことについてもたずねてみた。山下さんは初対面の私のそんな質問にもちゃんと答えてくれた。その時、この本が出版されることも教えてくれた。
「なぜ、ガケ書房をやめてしまったのか」という問いに対する「答え」や、「そもそもガケ書房とはなんだったのか?」ということがこの本に書かれていた。たとえ私のように、ガケ書房を体験してない人であっても、いろいろなことを思案しながら「本屋さん」を始めた青年の話が、なんだかほろ苦く、心を打つのではないかと思う。「ガケ書房の頃」山下賢二著(夏葉社2016年)。

思い出したのは、小学5年生くらいのとき通っていた商店街の本屋さんのこと。私の町では一番大きくて、古い書店で、漫画も、小説も、雑誌も、図鑑も参考書も。何でも置いてあった。当時の私の小遣いは1000円くらいで、毎月「りぼん」という月刊の漫画を買って、残りはお菓子やジュースを買えばおしまい。普段現金はほとんど持っていない。ところが本屋さんに行くと、現金を得るチャンスがあった。それは図書券のおつりだった。
「本を読むと賢くなる」と信じていた両親は、図書券をくれて、とにかく図書券はたくさんあった。1枚500円の券。これを2枚出して2冊で合計600~700円ちょっとの本を買い、300円ほどの現金を得る。そして、こっそりケーキを買って1人で食べてみたりする。知恵というか、なんというか貧乏くさい錬金術。私はこれを繰り返していた。おつり狙いは本屋の店主にもバレバレ。だって1000円出せば、その当時文庫本が3冊買えたのだから。だけど、「おっ、また来たな」って感じで、おつりをくれた。私にも少し罪の意識があって漫画は買わず、中学~高校生が読むようなミステリーや恋愛ものの文庫本を買っていた。もちろん、ちゃんと読んだ。毎週毎週そうやって2冊ずつ本を買ったが、私が本を抜いた隙間には、新しい本が入っていた。行くたびに棚を見れば、面白そうな本が増えていた。私のために、では、ないだろうが、「これ読んでみたら?」って本屋さんからの提案されているような気がしていた。あの本屋さん、今もあるだろうか。おつり狙いではあったけど、あの棚を眺めている時間は楽しかった。そうすると、ますます幻のガケ書房が気になった。そして、ホホホ座もまた行ってみようと思った。

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