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コラム

今日のお茶のお稽古。7月7日七夕。「力は必要なだけ、必要なところで」

五月晴れというのは、本来、梅雨の晴れ間のことを言う。
五月は旧暦の5月で、今でいう、6月。
今年は6月に雨が少なかったのに、7月に入って雨の日が増えた。
しかも、豪雨。
旧暦のころの、季節を楽しむ気持ちの余裕を持つのは、難しい。

 

金曜日はお茶のお稽古。

雨降りだった先週と違って、
葦戸越しの庭は明るく、白い壁が光って、
木々の葉が風に揺れるのが見える。

室内にも、陽が差し込んでいて、
壁に建具の筋のとおりに影絵ができていた。

そんな爽やかな景色が目の前にあるのに、

今日はいつもに増して、体が硬い。

 

「そんなに力入れなくても、落ちないでしょう?」

確かに。先生の言うとおり。
袱紗(つまりは布)を親指と人差し指でつまんで持つだけなのに。
なぜ、こんなにビッチリ持ってしまうのだろう。

竹製の柄杓。
左手で持っているのだから、右手は支えるだけで良い、のに。
なぜ、ぎゅっと持ちたくなるのだろう。

きっと、毎日、24時間、何事においてもこんな感じなのです。
どうりで肩こりがひどいはずだ。

 

私の後に、だいぶ年上の生徒さんが来られて、私に一服入れてくれた。

その方は、風貌からして、穏やかな感じで、

腕や指、背中。私が注意される伸ばすべきところが

一見、ズバッと伸びてはいないような気がするのだけれど、

とても柔らかで、きれいだった。

そして美味しいお茶だった。

 

「腕を伸ばせばいい」「肘をはればいい」と言うものではないのだ。

(今の私は、それをする必要があるのだけれど。)

 

その方は、もちろん、伸ばすべきところは伸びているのだけど、

「伸ばしてます」という感じがしない。だから美しい。

力を抜くって、そういうことか。と思った。

抜くと言うか、抜ける。それも自然に。

私には、動きのなかに「無理」がやまほどあるから、力が抜けない。抜こうと思っても。

 

お茶って、いちいち人生に置き換えられて、グサグサと刺さる。

その境地に達するまでに、あと20年はかかるでしょうな。

 

でもそれも、自然なことかと。