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コラム

最期の言葉と贈る言葉。 (備忘録 2011年4月28日の投稿)

旧ブログを閉鎖する前に、いくつかの記事を少し書き直して再掲します。なんとなく、お盆なので。

ーーーーーーーーーーーーーーーー2011年4月28日

桜が満開だった今月初め、97歳で祖母が亡くなりました。

「お年のわりに、きれいですね」
祖母のお骨を見て、火葬場の職員の方が言いました。
たくさんの遺骨を見ている人が言うのだから、きっとそうなのでしょう。
大正2年、1914年の生まれです。
100年近く祖母を支えてくれた骨は、力強く、どこか美しいとさえ感じました。

今年の初めに、入居していた施設を訪ねたのが最後になりました。私達夫婦に子どもがいないことをいつも心配していた祖母は、「子宝が授かりますように」と手を握って祈ってくれました。
なぜかその手のぬくもりに涙が出て「おばあちゃんこそ、元気でいてくださいね」と声をかけると、おばあちゃんの目も潤んでいるように見えました。

もう会えないということを、人は分かるのでしょうか。
こういうとき何か感じるのでしょうか。

別の祖母が事故でなくなる日の朝に最後に交わした言葉も
「元気でね」でした。
そのときの顔を今でもはっきりと覚えています。
その直前、関西で家を建てるということを祖母に話しました。
それはつまり、ふるさとには帰ってこないことを意味します。
本格的に契約する前に、ちゃんと話さなくては、と思っていました。それで、祖母がいよいよ帰ると言うときになって、あわてて話したのです。

不思議です。

一年の中で一番美しい、桜が彩る京都を後にして、ふるさとへ向かうと、葬儀場にはすでに親戚が集まっていました。2週間ほど前に脳梗塞で倒れた後の死で覚悟ができていたこと、97年をたくましく生きたことへの賛辞。会場は「しめやかな」というより、感謝の気持ちを伝えるあたたかな雰囲気でした。

翌日の告別式。
孫の一人が弔辞を読みました。
たくさんの子どもと孫に囲まれて、いつも笑って、いつもながーいおしゃべりを聞かせてくれた祖母。
たくさんの思い出を語ったあと、最後に「さようなら」ではなく、
彼は「いってらっしゃい」と言って送り出しました。

「またそんなこと言うてから」とおばぁちゃんが笑ったでしょう。

「らしい、お別れだったね」
京都へトンボ帰りする新幹線の中で、「子宝」について考えちゃいました。