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コラム

【言葉のちからを集めよう #02】文筆家 土門蘭さん「言葉を生み出すことで、生きてこれた」

文筆家の土門蘭さんは、小説やエッセイなど自らの思考や体験をもとに書く作家業、インタビューや企業案内などのライター業、そのどちらも行っています。物心ついたときからこれまで、飽くことなく言葉を記し続けてきた土門さんにとって、言葉とはどのような存在なのか。そして言葉の力を感じるのは、どんなときなのでしょうか。


自分を救済する“火星人であるわたしへのレポート

土門さんはなぜ、書くことを生業としているのか。その原点には、子どものときから抱えてきた「生きづらさ」がある。「幼い頃から社会に馴染めないという感覚が強くて、自分は地球人ではなく火星人なんじゃないかと思いこもうとしていたんです。10歳のときには死を意識する出来事もあり、数年前まで、ほとんど毎日死を思い続けていました」

死に対する欲求。それは「なぜ自分はここで生きてるんだろう」という問いとして、土門さんの中に居座った。そしてその答えの見つからない問いを探究するための行為として、書くことを続けてきた。

「小学生のときは、火星にレポートするような気持ちで、日常のことや感じたことを書き連ねていました。死にたいって気持ちを抑えなくちゃいけない、そのためには生きる意味を見出さなくちゃいけないみたいな。そのうちに書くことによって『生きることはこういうことかもしれない』という種を見つけられるようになってきて、そのことで自分を救済してきたんだと思うんです」

 

作家業とライター業を行ったり来たり

死を思い、生の意味を考えながら言葉を紡いできた土門さん。そして今、書くこと仕事になった。

作家業とライター業は今ちょうど半々くらいの割合で行っていて、そのバランスが心地いいなと思っています。それは私の中で火星と地球を行ったり来たりするような感覚なん。作家業自分との対話自分の中から生まれてくる言葉を引き出して、それを文章、作品などにしていく。一方でライター業では他者の言葉を聞き取ったり、一緒に問いを立てて答えを見つけていくことで、言葉を書き記しています」

歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』2017年 京都文鳥社

とはいえ、土門さんの文章を読んでみると、そこには、死の匂いではなく、清く、柔らかさを感じる言葉が並んでいる。とくに自己表現の場である小説や短歌を生み出す際は、自分の中のサンクチュアリである「火星」に影響を受けて書いている感覚なのだとか

「自分の中のイメージとしての『火星』は、すごく空気が綺麗で、人がいなくて、とってもシンとした空間なんです。そこに立っている気持ちで文章を書こうと思うと、自分の中にある恨みや承認欲求、自己顕示欲などが邪魔に感じるので、極力それらは排除するように心掛けています。その結果、私の書き記す言葉が清々しいと感じていただけているなら、非常にうれしいことですね」

 

往復書簡のような読者とのやりとりで広がる共感

土門さんの言葉に、「自分も同じような感覚を持っていた」「救われたように感じる」と思う読者も多くいる。2022年からは、一般社団法人手紙寺が運営するWEBマガジンで「前略、あなたへ。」という連載をスタート。土門さんに向けて読者から寄せられる手紙に対して、土門さんが返答をする。いわば、WEB上の往復書簡だ。

あるとき「幼いころは文章を書くのが好きだったのに、いつの間にか書かなくなった」といった内容の手紙が送られてた。

「そのお手紙には、『大人になるうち徐々に他者の目線を想像できるようになってきて、それに応えようとすることで素直な気持ちが書きにくくなった』というようなことが書かれていました。また、その『他者の目線』を1人の時にも感じてしまうのだ、と。自分しか読まない日記でも、ネガティブなことを書いてはだめだとか、もっといいことを書かないと、とか、ブレーキがかかってしまう。でも、この連載がきっかけで、また書きたい気持ちになれたというお手紙をいくつかをいただいて、すごく嬉しかったです」

きっと自分の言葉で書き表したいという気持ちが、奥深くに眠っていたのだ。それが土門さんの言葉に触れて、自分の内なる声をもう一度書いてみようと感じたのかもしれない

 

問い続け、癒された先に、まだ知りたいことがある

「生きる意味なんて考えてもしょうがないよって、私もいろんな人に言われてきました。昔は周りに心配をかけるだけだと思って素直に言えなかったし、『こんなに幸せな国に生まれたのに、死について考えるなんて』と罪悪感を抱くこともあった。でもその気持ちを作品という形を借りて、文章にすることで消化していたんです。だから『なぜ自分はここで生きてるんだろう』と思ってもいい。少なくとも私にとっては、その問いこそが生きる源でしたから」

なぜここで生きているのか―。その問いと向き合い続けてきた土門さんだが、近ごろ心境に大きな変化があった。数年前からカウンセリングを受けて自分の内面について他者を交えてより深く対話をすることで、自分でも知らなかった自分に出会うことができている。

「毎日感じていた死にたい気持ちが、1週間に1回ぐらいになりました。私にとっては、すごい進歩。でも『どうして自分が生きてるんやろう』という問いは癒されつつあるけれども、その先にまだまだ知りたいことがあるから書き続けているんです」

以前よりは地に足がつき始めたけれど、不安になったり、虚無感に襲われたり、ふわっと飛んでいってしまいたくなることもある。それでも書くことでやっぱり生きていこうと思える。土門さんにとって、言葉は現世と自分をつなぎとめてくれる大切な結び目なのだ。

 

(文・三上由香利、写真提供・土門蘭、撮影・瓜生朋美)

土門蘭さん プロフィール 

1985年広島県生まれ。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

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【連載】

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