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achives

2016.12

2016年最後の旅は鹿児島

カーテンを開けると、背後から太陽に照らされて、ぼんやりとオレンジに縁どられた山の輪郭が見えた。次第に錦江湾が朝日を反射しはじめ、桜島がその肌に木々や地面の色を取り戻す。夜明けは7時半。朝が苦手な私でさえも、真冬の西の街ならこんな美しい日の出に出合える。
〝桜島の目の前のホテル〟との触れ込みに惹かれて予約したものの、ここまでだったとは。昨晩チェックインしたときは、真っ暗で何も見えなかった。青空に姿を現した雄々しき桜島。鹿児島からの最初の贈り物に心躍った。

2016年最後の旅は鹿児島。その目的は知覧にある特攻平和会館を訪れること。鹿児島中央駅近くで借りたレンタカーで走り出した。
鹿児島は思ったより平地が少ない。見渡せば海か山が見える。知覧へ向かう道も、海岸線を少し南下した後で、山側に右折。そこからは山道を登っていく。道は広々としていて走りにくくはない。しばらくすると家や商店が軒を連ねる高台の平地に出た。ここが知覧だ。鹿児島市街地から1時間弱だったと思う。
もともとは城があり城下町として栄えた。現在も武家屋敷の見学をすることができ、「薩摩の小京都」なんていう看板も見かけた。その賑わいを抜けた先に、平和会館はある。石灯籠が道標のように道路の両脇に並ぶ。

この街に、陸軍の飛行学校ができたのは昭和16年。まさに太平洋戦争が始まった年。そもそもは飛行訓練を行う場所であったものの、昭和20年4月からは、本土最南端の陸軍特攻基地として、多くの隊員が飛び立った。その人々の遺書や手紙が多く寄贈され、展示されている。

平和や戦争について考えるとき、私は何を知っていて、判断をしようとしているだろう、と思う。戦争をしたい人なんて、普通だったらいない、はずだ。でもなぜ、戦争が起きるのか。そのことについて知ろうとしないで、語ることはできない。

そんな風に思うようになったのは、外国に行って、戦争をテーマにしたミュージアムに行ったからだろう。ロンドンには帝国戦争博物館なるものがあるし、ベトナムでは、ベトナム戦争の戦争証跡博物館があった。いずれも、戦勝国ではあるが、目をそむけたくなるような写真が生々しく戦争の悲惨さを伝えている。事実をありのままに、といった感じだ。驚いたのは、子どもを含めたくさんの人が訪れ、見学していたことだ。学校のイベントではなく、個人的に。私たちの国ではどうだろう。

特攻平和会館には、年末だというのに人がいっぱいだった。館内には出撃した特攻隊員の写真が展示されているが、写真を見ていると、切なくなるほど若い。そして凛々しい。今どきの10代後半~20代の男性とは、まとっている雰囲気が違う。そして遺書や手紙の字がきれいだ。中には筆で書いたものもあり、とにかく美しい。遺書は最後の手紙だ。心を込めて、丁寧に書かれたのは言うまでもない。
多く書かれているのは、母親への感謝、残される子どもには「お母さんの言うことをよく聞いて」と言い残す。母や子を守るために、彼らは戻れぬ空へ旅立っていった。これが戦争。特攻隊員たちは今の日本を見て、どう思うだろう。そう思いながら、会館を後にした。

指宿へ向かった。南下する山道の途中、山々の間に開聞岳が見え始めた。桜島は台形といった感じだが、開聞岳は富士山のようなすらっとした円錐形。ドレスを広げたようななめらかな稜線が海まで伸びている。山は70年前と何ひとつかわらないだろう。完全に指宿側に下りると、私にもその美しい装いを見せてくれた。

指宿でのお目当ては砂蒸し風呂。じんわり温かいぐらいの砂に入ってぽかぽかするのかと思っていたが、いや全然。熱い。65度ぐらいあるらしいのだ。夫とふたり、首から上だけを出して砂に埋まる。熱くてモゾモゾ動いていたら、おばちゃんが「おしりが熱いんやない?」。動いたところはきれいにかけた砂がくずれる。立っている人が上から見たら一目瞭然と言うわけだ。「あ、はい。ちょっと…」とさらにモゾモゾすると、「ちょっとお尻上げてみて」と、少しぬるい砂を入れ込む。そうすると少しマシになった。10分ほどがちょうどよい時間とのことで、そのくらいはあったまっていくことにした。なんだかドクドクする。血の巡りが早くなったみたい。汗もじんわり出てきた。顔だけ海風にあたって気持ちがいい。横の夫は目をつぶって眠っている。たしかに10分以上は無理かもしれないが、気持ちがいい。肩こりが楽になったような気がした。この後、大浴場へ行って、砂を落として温泉に入る。温泉は飲めませんと書いてあったが、唇に触れた温泉は少ししょっぱかった。海の恵み、ということだろう。

そうしてまた鹿児島市内に戻り、途中の道の駅で、安納芋の焼き芋食べ、夜は黒豚のしゃぶしゃぶと芋焼酎と、名物三昧。さらに翌日、フェリーで桜島に渡った。

桜島の海岸は黒い溶岩がゴツゴツしていた。桜島で見た案内看板によると、錦江湾は大昔、噴火した火口なのだそう。今年は噴火回数が少なかったようだが、2015年は1000回以上噴火している。当然街に灰が降る。私が20年以上前に1泊だけ鹿児島に宿泊した日にも、灰が粉雪のように降ってた。こんなところに住むの大変じゃないかな、と思った。布団干せないし、洗濯物にもついちゃう。車だって汚れちゃう。なのに、なぜここには昔から人が住み続けているの?って。

その答えについて、桜島から戻るフェリーの中で仮説を立てた。目の前に広がる、美しい桜島、海、山。そんな豊かな自然からもたらされる野菜、魚、肉。あたたかくやわらかな人々の物腰、居酒屋で焼酎を飲み笑い、語り合う姿。都会にはない豊かな営みがここにはある。日本はどこにいても災害がある。だけど、住む人々にとって、自分の故郷ほど住みよいところはない。どんな災害に見舞われても、そこを離れるという選択をするのは、とても辛いことなのかもしれない。

九州新幹線に乗り、鹿児島から博多へ向かった。熊本付近はまだ徐行運転だった。2016年、あんなに大きな地震がくるなんて。「九州は大きな地震はない」。それって私も含めて多くの九州人の認識だったと思う。でも(私は今住んでいないけれど)ここが故郷。きっと来年はもっといい年になる、そう信じて、新しい年を迎えよう。

リビング京都11月26日号「睡眠時間を有効活用」を取材しました。

11月に掲載になっていたのですけど、リビング京都で「睡眠時間を有効活用」について取材しました。みなさんは何時間寝ていますか? 私は必ず6時間は寝ます。寝ずに夜中に原稿を書く、ということも以前にはありましたが、今は絶対にしていません。(体をこわしたのと、ちっともいい原稿にならないからです!)。1日8時間睡眠がいいだとか、四当五落なんて、言ったりもしますね。でも人間に必要な睡眠時間は1人1人違うのだそうです。「体がしんどい」「昼間に眠たい」なんて人は足りてないのかもしれません。睡眠は一日のリズムを作ります。働き者の皆さん、もっと大切にしないといけませんよ。

記事では、そんな睡眠の時間を、どうやって捉えると、有効に活用できるかを紹介しています。こちらでじっくり読んでくださいまし。

佛教大学の漆葉教授、京都工芸繊維大学の小山教授、市田商店の店長・齋藤さんにご協力いただきました。ありがとうございました!

私はちょっと変なヒトでした。「ヨーロッパ退屈日記」を読んで。

1年がかりで作った本の校了作業が今週やってきて、それはもうバタバタしておりました。ので、また更新をさぼってしまったのです。でも、この間、1冊だけ本を読みました。今日はそのお話。「ヨーロッパ退屈日記」(伊丹十三著 新潮文庫 平成14年発行)。

この本に載っているお話が書かれたのはもう50年も前のこと。最初は、「昔の話だからな~」と思いながら読んでいたのだけれど、結局「日本人(私だけかもだけど)のヨーロッパに対する感覚って全然今も変わってないんじゃないか」と思ってしまった。

著者・伊丹十三さんと言えば、私のなかでは「お葬式」や「マルサの女」といった映画の監督をした人で、俳優で、突然亡くなってしまった人、というくらいの情報しか持ち合わせていなかった。でもこのタイトル「ヨーロッパ退屈日記」に、それと、手に吸い付くようにツルツルしていたなんともさわり心地が良いカバーに惹かれて購入。短編エッセイの集まりのような一冊なので、電車の中で少しずつ読み進んだ。そしてトータルの感想がくだんの通り。

私が映画監督・伊丹十三さんを知るずっと前に、彼は海外の映画にも出演する俳優で、外国に長期滞在をする暮らしをしていた。この本に書かれているのはその時に見聞きしたこと。そしてデザイナーでもあり、イラストレーターでもある(本に掲載の絵も素敵)彼が書いている文章には、ユーモアがあり、彼独自の捉え方が淡々と述べられていて、あぁ芸術家なんだなと思う。それは私が子どもの頃に見た、記憶のなかの伊丹十三のイメージ通り。だから逆に、あのイメージってこういうことだったんだ、と腑に落ちたりもした。

で、何が「今も全然変わってないんじゃないか」と思ったかというと、読んでみると「やっぱりヨーロッパですごいんじゃないか」という気持ちがしてくること。ただし本には、ちっともそんなことは書かれていないし、伊丹十三はそんなこと感じてなかったのかもしれない。イギリスではこうだった、イタリアではこうだ、という感じで描写がしてあるに過ぎない。だから「日本っていいよね」「ヨーロッパっていいよね」とかを軽々しく論じているものではないと思う(むしろそういうのが嫌なんじゃないかと)。でもなんか、いい匂いがする。してしまう。私は、残念ながらこれを50年もたってから読んで、さらに(それでなくても憧れてしまっているのに)ヨーロッパの持つ深みにはまってしまいそうだから、なんだか嫌なのだ(笑)。

この本のカバーには「この本を読んでニヤッとなったら、あなたは本格派で、しかもちょっと変なヒトです」と書いてある。さすがに、ニヤッとできるほど、本格派ではなかったけれど、フムフムとなってしまった部分が大いにあったので、「しかもちょっと変なヒト」には当てはまってしまっただろうと思う。古臭くやると、おでこを手のひらでぺちって叩いて、「やられた!」って感じ。
ちなみに、このカバーのコピーも、本のタイトルも、「トリスを飲んで、HAWAIIに行こう」の山口瞳さんによるもの。文章に携わる者としては、背筋がピンとなって、さらにゾゾゾとしてしまうのです(お若い方はご存じないかもしれないので、詳しくは「壽屋 宣伝部」で検索を。サントリーってほんとすごいのよ)。

そしていまさらですけど、この記事も、前に本を読んだことを書いた記事も、「読んだ」と報告をしているのに、感想を書くだけで、本の内容については極力書かないようにしようと思っているので、なんだかよく分からない文章になってしまったかも。申し訳ない。でも皆さんと本との出合いはまっさらにしておきたいのです。もし、どの辺がそう思ったん?と思った人がいたら、ぜひ本を手に取って読んでみてください。私は特に「場違い」というエッセイが気に入っています。

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