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achives

2016.06

人生をともに歩む言葉

うちのアシスタントちゃんは時々変なことをたずねる。「誰にも教えたくないような、京都で一番お気に入りの飲食店はどこですか?」とか、「それまでの人生を変えたような一冊ってありませんか?」とか。きかれた人が「む?」と考え込むような質問をするのだ。それはそれで、面白いなと思う。だって私はいたって軽い感じで、深く考え込まないようにして生きているので、そんなに、どっしりと何かについて、意味づけをしたことがないのだ。
でも、その「人生を変える一冊」という質問を受けたときに、ある詩が思い浮かんだ。

茨木のり子(1926-2006)作「自分の感受性くらい」だ。そういうと、アシスタントちゃんは、「今度、ithinkのコーナーで書いたらいい」というので素直に従い書く。きっと少し長くなる。

今から20年以上前、私は家を出て、女子大の女子寮で暮らしていた。2段ベッドが2つと机が4つ並んだ10畳ほどの部屋。これが20くらいある3階建ての寮だった。だいたいどの部屋にも1年生が2~3人、上級生が1~2人という割振り。お目付け役は必ずいると言うわけ。部屋にはエアコンも、テレビもない。冬になると、ストーブに灯油をタンクの1/3だけ、週に2回入れてくれる、そんな、本当に今日では考えられない場所だった。息苦しかった。今でもあの時のあの場所は現実じゃなかったんじゃないか、と思うくらいに。
しかもそこで私は仮面浪人をしていた。大学に通いながら、別の大学を目指して勉強していた。もろもろの家庭事情で進学したのであって、もともと行きたい大学でも、学部でさえもなかった。さらに、その寮も嫌だった。その大学への興味より、別の大学への思いが強いからこそ、仮面浪人をしているのであって、1年生の後半にもなると、だんだんと大学へと足を運ぶ日が減り、寮の机で、用済みになったはずの高校時代の参考書を開いて勉強をするようになった。すぐに、「あの人ちょっと変」というのは広まっただろうが、みんな直接たずねてくることはなかった。そんなとき、寮の隣の席の同級生が、教えてくれたのが、この詩だった。
「初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった」
詩のこの部分が、いつも胸に刺さった。ここにいるのが嫌だったら、自力で這いでるしかない。夢を実現できないとしたら、それはこの場所のせいではない、私の志がひよわだから。そう思うと、無性に頑張れた。毎日10時間勉強すると決めて、1日が過ぎるとカレンダーの日付に大きく✖をつけた。そうして2年踏ん張って、高校時代に受けることすら叶わなかった志望校に合格した。すごく努力した、けど、それは自慢すべきことではない。そもそも高校生の時にそうすればよかっただけの話だ。でも機が熟していなかったのだろう。私の機はその前時代的な寮で熟した。隣の席の子は「教科書に載っていた」といっていたが、どうして私にこの詩を教えてくれたのか。鬱々とした私に気づいていたのかもしれない。彼女は看護学科だったし。

その後、この詩を忘れないように、高校に教育実習に行った際、書道部の生徒にお願いして書いてもらった。以来、ずっと部屋に貼って時折読んでいる。白かった和紙がすっかり茶色くなって、ところどころ破れながら、私とともに20年以上の年月を過ごした。年をとると不思議と、「胸に刺さる」フレーズが前と違ってきた。

今は、

「ぱさぱさに乾いていく心を
人のせいにするな
みずから水やり怠っておいて」
が、やけに目から離れない。
「苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし」
が、やけにひっかかる。

人生を変えたかどうかは分からないが、この詩はこうやって私の人生をともに歩いてくれている。あの苦々しい寮での時間が人生のピークだったら嫌だ。あの頑張りを、あの輝きを、私の人生の最高潮にしたくない。この詩は、あなたもまだまだなのよ、と私をいつでも少し上から見てくれている。

かざり羹にうっとり@うめぞの茶房

 

西陣は生活感があふれていて好き。くねくねとした道の両側に続く民家。その間に、昔っからここで地元の人たちのために御商売をしているんだろうなぁって感じのたたずまいの、小さな商店がぽつり、ぽつり。そんな場所に、甘味処の「うめぞの」の4店舗目、「うめぞの茶房」がオープンしています。うめぞのは昭和初期、河原町に創業した甘味処。タレがよくからむ、細い俵型のみたらし団子が代名詞です。まさに昭和!な河原町店や抹茶のパンケーキで人気の烏丸店、それから観光にも便利な清水店もあって、そこで4店舗目。
次なる展開はというと、「かざり羹」。? ちょっと耳慣れない言葉かもしれないけれど、「羹」といえば、おなじみなのは羊羹。それが「こんなにかわいくなっちゃうんだ!」ってショーケースをひと目見て感動。小さな四角や丸の上に、果物やクリームがちょこん。お味も、こしあんや抹茶に混ざって、フランボワーズ、カカオ、グレープフルーツなどなど。
私は「紅茶」とほうじ茶をチョイス(あぁ!Wでお茶になってしまった!)。ぷるんとした食感に紅茶の香り、そして優しい甘味のほっこり感。和の枠を飛び越えて、でもやっぱり和の親しみやすさはもちつつ、というのが、うめぞのさんならではかなと思います。わざわざ行くのももちろん楽しみなお店だけど、ご近所のみなさんのお茶スポットとしても、愛されていくといいな。テイクアウトもできるので、愛らしいお土産にも。

 

リビング京都6月25日号「レモンをオン、レモンがイン!」を取材しました

毎日毎日、雨ですね。本当に梅雨ってお天気が続きます。こんな時期に発行されることを見越してか、今週の「リビング京都」の終面はレモングルメの特集です。レモンが上にのっていたり、中に練りこんであったり。こんな季節にも、さわやか~な味わいに、落ち込んでいた食欲もムクムクっとわきだします。記事はこちらからどうぞ。取材させていただいたのは、

祇園麺処 むらじCantina Arco西冨家コロッケ店魏飯夷堂 の4店です。ご協力ありがとうございました1

福岡に行ったから

せっかく福岡に帰るのだから、家に行く以外にも何かすることにしよう、と思い立った。
もう福岡を出て16年になる。私が大学生のときは絶賛工事中で、大渋滞を毎朝引き起こしていた地下鉄が我が母校の先まで通り、都市高速もこれまた我が母校のあたりを通過して環状線となった。博多駅だって全然違う。そんなにすさまじく交通が整備されたのだから、街のこざこざした通りの店なんかは言うまでもない。私の知っている福岡はどこへ行ったのか…。ならば探してみようと、歩くことにした。
まずは、昼ご飯を食べる。場所は何度か家族で訪れた「稚加栄(ちかえ)」という料亭。
昼に料亭で、1人でご飯? と心配する必要はない。博多の人はそんなこと心配しなくていい。そんな気取ったことではないのが、この町のいいところ。
店の真ん中にはプールみたいな大きないけすがあって、アマダイ、アワビ、ヒラメ、みたこともないでっかい(1mくらいあったような)魚も。アジが銀色にキラキラ光ってキレイとか、イセエビが逃げ出しそうとか。見ているだけで十分楽しい。
このいけすを囲んでカウンターがあり、私のような1人客や2人連れが座っている。まるで輪になって。仲居さんたちはプールサイドみたいないけすサイドを行ったり来たり。転んで落ちたりしないのかな?と若干心配になる造りだ。
お昼の定食は刺身、天ぷら、カニでダシをとった味噌汁、茶わん蒸し、煮物、ごはん(もちろん明太子は食べ放題)、漬物(もちろん高菜入り)で、税込み1400円。これはかなりお得だ。とうてい食べきれない量だし、目の前の魚が刺身になったのだから。他県から来た観光客のような顔をしてご満悦。
ここに初めて来たのは、多分中学生のときだったと思う。もちろん家族できた。そして座敷があいていなくてカウンターに座った。当時も同じ値段だったかは分からないけど、「料亭は高級」と思っていたから、すごいところに来たぞ!と興奮したのを覚えている。値段も遠慮しながら、そこそこ安いのを選んだり、子どもながら気を使っただろう。ところが、隣に座った中学生くらいの男の子が、フグ刺しを食べ始めた。
は?フグ刺し。この子ども、近所の地主の息子じゃないかとか、山奥から出てきた私たち家族は、そんなことを言いながら帰路についた。そうじゃないと、説明がつかないじゃないかと。料理の味よりも、目の前の水族館みたいないけすよりも衝撃的だった。しつこいようだが、山奥から出てきて、すごい御馳走にありついたと思った私を凍り付かせた。ちらちらとその子が食べるフグ刺しを見ながら、なぜ子どもなのに、フグ刺しを食べられるのか?についてずっと考えていた。世の中にはお金持ちがいるんだと、なんだかがっかりした。その中学生には全く罪はないけれど。今考えたら単なるジェラシー、ひがみでしかない。

今日は1人だったので、あのときの中学生がどこかにいるのでは?と探しながら食べた。いるわけないか、と思いながらも。そして、私だって1人でここでご飯を食べてやるんだと、リベンジを果たした気分になった。食べたのはお得な昼定食だが、いいのだ。
そして今、とあるカフェでこれを書いている。16年前にあったとしても入れなかったおしゃれな店で、800円もするレモンソーダを飲んでいる。大人になったもんだ。そうしたらテーブルにこの店の3号店オープンのお知らせがおいてあった。
筑豊の炭鉱王、伊藤伝右衛門の旧別邸だったたてものを使った店なのだという。私の小学校の体育館を建ててくれた人ではないか! あぁ、ここは故郷。多少?変わってしまったとしてもこの街が大好きだ。

2013年の年末に思う  (備忘録的に)

前に書いていたブログを閉鎖することになります。インターネットの闇に葬り去られるわけです。そこで、とっておきたいなという記事だけ、移設しておこうと思います。ほとんど、自分に向けてのメッセージ、なんですが。2013年の年末に私が書いたブログの記事です。仕事とは関係ないのですが自分への備忘録的に残しておこうと思います。

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2013年ももう終わりですね。

なんと、2013年も家族が病気になりました。
昨年に引き続き、なんてこと。

京都駅と博多駅を何度も何度も行き来して、
この年の瀬に、また全員そろいました。
この間に、京都の事務所をクローズしました。
理由は、福岡に行く費用と時間を捻出しようと思ったら、
ここを削るのが一番ということになったから。
なんやかんや考えて、やっと借りた私の「城」でしたので(笑)、残念っちゃ残念でしたが、
このお城はまた持てるから、別にいいのです。

そんな困難な1年、いや2年を過ごして、最近つくづく考えていることがあります。

例えば、誰かがとってもいいものを持っていたら、
「いいなぁ~欲しいな~」ってうらやんでしまう。

でも、ふと立ち止まって、

それってホントに欲しいの?
「他人が持っているから」という理由で欲しいんじゃないの?

って問い直します。
私は、自分のエネルギーを、時間を、お金を、気持ちを、何に使ってきた?

そうすると、それを持っていないのは、
そもそもそれを手に入れようとしていないからだと気づきます。
なんで、手に入れようとしていないかといえば、ホントに欲しいものではないから。
納得。

そして考えが巡り巡ってようやくたどりつくのは、
「私が何を持っているか」ってこと。

自分のこともちゃんとみなくてはね。


この後再び、事務所を持つことができ、病を抱えながらも家族は元気に暮らしています。さて、もう一回、自分の言葉に従って、自分を振り返ってみましょうかね。

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