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コラム

人生をともに歩む言葉

うちのアシスタントちゃんは時々変なことをたずねる。「誰にも教えたくないような、京都で一番お気に入りの飲食店はどこですか?」とか、「それまでの人生を変えたような一冊ってありませんか?」とか。きかれた人が「む?」と考え込むような質問をするのだ。それはそれで、面白いなと思う。だって私はいたって軽い感じで、深く考え込まないようにして生きているので、そんなに、どっしりと何かについて、意味づけをしたことがないのだ。
でも、その「人生を変える一冊」という質問を受けたときに、ある詩が思い浮かんだ。

茨木のり子(1926-2006)作「自分の感受性くらい」だ。そういうと、アシスタントちゃんは、「今度、ithinkのコーナーで書いたらいい」というので素直に従い書く。きっと少し長くなる。

今から20年以上前、私は家を出て、女子大の女子寮で暮らしていた。2段ベッドが2つと机が4つ並んだ10畳ほどの部屋。これが20くらいある3階建ての寮だった。だいたいどの部屋にも1年生が2~3人、上級生が1~2人という割振り。お目付け役は必ずいると言うわけ。部屋にはエアコンも、テレビもない。冬になると、ストーブに灯油をタンクの1/3だけ、週に2回入れてくれる、そんな、本当に今日では考えられない場所だった。息苦しかった。今でもあの時のあの場所は現実じゃなかったんじゃないか、と思うくらいに。
しかもそこで私は仮面浪人をしていた。大学に通いながら、別の大学を目指して勉強していた。もろもろの家庭事情で進学したのであって、もともと行きたい大学でも、学部でさえもなかった。さらに、その寮も嫌だった。その大学への興味より、別の大学への思いが強いからこそ、仮面浪人をしているのであって、1年生の後半にもなると、だんだんと大学へと足を運ぶ日が減り、寮の机で、用済みになったはずの高校時代の参考書を開いて勉強をするようになった。すぐに、「あの人ちょっと変」というのは広まっただろうが、みんな直接たずねてくることはなかった。そんなとき、寮の隣の席の同級生が、教えてくれたのが、この詩だった。
「初心消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった」
詩のこの部分が、いつも胸に刺さった。ここにいるのが嫌だったら、自力で這いでるしかない。夢を実現できないとしたら、それはこの場所のせいではない、私の志がひよわだから。そう思うと、無性に頑張れた。毎日10時間勉強すると決めて、1日が過ぎるとカレンダーの日付に大きく✖をつけた。そうして2年踏ん張って、高校時代に受けることすら叶わなかった志望校に合格した。すごく努力した、けど、それは自慢すべきことではない。そもそも高校生の時にそうすればよかっただけの話だ。でも機が熟していなかったのだろう。私の機はその前時代的な寮で熟した。隣の席の子は「教科書に載っていた」といっていたが、どうして私にこの詩を教えてくれたのか。鬱々とした私に気づいていたのかもしれない。彼女は看護学科だったし。

その後、この詩を忘れないように、高校に教育実習に行った際、書道部の生徒にお願いして書いてもらった。以来、ずっと部屋に貼って時折読んでいる。白かった和紙がすっかり茶色くなって、ところどころ破れながら、私とともに20年以上の年月を過ごした。年をとると不思議と、「胸に刺さる」フレーズが前と違ってきた。

今は、

「ぱさぱさに乾いていく心を
人のせいにするな
みずから水やり怠っておいて」
が、やけに目から離れない。
「苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし」
が、やけにひっかかる。

人生を変えたかどうかは分からないが、この詩はこうやって私の人生をともに歩いてくれている。あの苦々しい寮での時間が人生のピークだったら嫌だ。あの頑張りを、あの輝きを、私の人生の最高潮にしたくない。この詩は、あなたもまだまだなのよ、と私をいつでも少し上から見てくれている。