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日々のできごとやお知らせ

旅日記の続き。広島でカープ愛を確かめる。

静岡から京都を通り越して、新幹線でやってきた広島駅は、なんとか雨は降らない、って感じで、蒸し暑さ100%。
今回の目的は、野球観戦のリベンジ!
5月のGW明けに一度訪れるも、雨で中止。記念すべき今シーズン最初の中止の日に、わざわざぶちあたってしまったのであった。今日は梅雨まっただ中にも関わらず、大丈夫そう!奇跡!

チケットを都合してくれた、夫の幼馴染・U君、私、私の両親、夫の弟、とその友人という、ちょっと変わったメンバー。前回は夫も一緒だったのだけど、これで雨男が誰だったか、確定だな。

広島市民は、どうしてこんなにも広島カープが好きなんだろう。
広島駅から、スタジアムは歩いて10分ぐらい。
道を赤いユニフォームが埋め尽くして、ぞろぞろと歩いている。

大半の広島市民がカープファンなんじゃないか、と思ってしまうほどに、街のあちこちに、カープの赤がいっぱい。
駅のお土産屋さんのスタッフがカープのユニフォームを着ているし、
ホテルの売店にもカープグッズがかなりのスペースを割いて売ってある。
ペットボトルの紅茶を買ったら、カープ坊やのイラスト付きだった。
もみじ饅頭と同じくらい、広島を代表する存在なのだ。

広島はカープ愛にあふれている。おかしいくらいに。そこがいい。

実を言うと、この雰囲気を味わいに、その空気に混ざりに、私は出かけているようなもの。

カープ色の赤い人の波にのって進んで、球場へ辿り着いた。
仕事帰りに立ち寄りやすい、ターミナル駅からの距離。
平日にも居酒屋行く?野球行く?みたいな感じだろうか。
最近では、チケットが入手困難となり、なかなか簡単には行けないそうだが。
月曜日のナイターなのに、お客さんはいっぱい。もちろん、8割以上がカープファン。

荷物やチケットのチェックが終わって、フィールドが見えてきた。
この視界が開けて、緑の芝生が見える感じに、ワクワクする。

私が座った外野指定席4列目は、すぐ目の前に選手がいるとってもいい場所。まさに手が届きそうなくらい(広島対横浜だったので、唯一知っている、横浜の筒香選手が目の前に見えた)。
目の前で繰り広げられる熱戦をつまみに、蒸し暑い中、ビールをごくり。
おやじっぽい? いいじゃないか。うまいんだぞぅ。

最近は「逆転の広島」という異名をとっているらしく、そのフレーズ通りに、バティスタの逆転ホームランで、勝利。
放物線というよりは、一直線に、私のいる方向の2階席へ飛んできたホームランの打球を、スタンドにいる3万人が立ち上がり、見つめ、歓声を上げた。

そのものすごいこと。

周りの知らない人たちと、ハイタッチしながら、
カープの歌を歌う。

カープ、カープ、カープ広島、ひろし~まカ-プ♪

広島はカープ愛にあふれている。

 

野球観戦の翌日、新幹線で京都に戻る前に、広島城へ行ってみた。
広島城は通称「鯉城」。ここにもカープ。

お堀にそって、両親としばし散歩してみたものの、暑さのあまり、天守閣へ行くのをあきらめるというありさま。せめて何か見なくてはと、展示室になっている二の丸へ。中には、毛利元就の「三子教訓状」のレプリカがありました。

広島城からタクシーで広島駅へ。
運転手さんは父よりも少し年上の男性。観光客にありがちな「どこから来たのですか?」みたいな話をしていると、父が、「昨日野球を見まして…」とひと言。
タクシーの運転手さんと、野球と政治の話は禁物なのに!と思いましたが、時すでにおそし。
案の定、運転手さんのカープ談義を道中聞きながら、少しのドライブ。

そして、新幹線に乗る前、駅の新幹線口にあるお好み焼き屋さんへ。
すると、そこにもカープ坊やが。
マヨネーズのふたも赤ヘルでした。


たくさんの応援を受けて、現在広島カープは首位。愛されてるっていいですね。

祇園祭・後祭を楽しむ。

少し忙しかったので、また放置してしまった。頑張って更新していたのに…。とほほ。

なんか、何回チャレンジしても続かないダイエットみたいで、重荷だ(笑)。

何をしていたかと言うと、
静岡に行って、広島に行って、祇園祭の先祭があって、お茶会があって、関東から親戚が来て、後祭の宵々山に行って、鴨川の床に行ってすき焼きを食べようとしたら、雨が降って室内になって(でも美味だった!)…。そして、今日、祇園祭は後祭巡行。この間に20日あたりが締め切りの長い原稿が2つもあって。
あっと言う間に10日以上が過ぎました。はやっ。

さてさて、22日、後祭の宵々山に行ったときの話。

先祭の宵山のように露店がでないのが後祭。

だからやや静かで、空気感もしっとりとしている気がします。

聞こえてくるのは、各山鉾でちまきを売ったり、グッズを売ったりする子どものかわいい声。

遠くで奏でられているお囃子も、心地よく耳に届きます。

露店がなくても、通り沿いの店では祭用にちゃんとビールやワインやおつまみが売っているし。

室町の呉服屋さんでは、バーゲンをしていて、足袋が3足1000円!とか。お買い得。

先祭とはちょっと違うムード。

でも、もちろん先祭で、いろんな露店が並んで、たこ焼き買って、かき氷買って。

着なれない浴衣着て子どもたちがはしゃいでる。それだって楽しい。

後祭が復活して、両方体験できるのも、祇園祭のおもしろいところかなと思います。

私はプラスチックカップに入ったワインを片手に、そぞろ歩きを楽しみました。

 

そして、今日は後祭の巡行。事務所のベランダから見えました。贅沢です。
でも、私は高所が苦手なので、あんまり長い時間は無理。仕事をしながらちらっと見て、引っ込んで、またちらっと見て。これが私の祇園祭と思うと、サミシイもんだ…。

 

巡行が終わって、午後になると、町から山鉾が消えてしまった。
このあっけなさ。

お昼を食べに外にでたら、まるで何事もなかったみたい。
いつまでも余韻にひたらない(浸っている人もいるのかも、しれないけど)ところが、気持ちいい。それも大事な気がします。

 

とはいえ、祇園祭はまだ終わっていません。

 

夕方。烏丸通を車で南下しようとしたら、大渋滞。

四条通から南は、なんと、東側の南行き車線は封鎖。

西側の2車線を北行き、南行きで1車線ずつ分け合ってる。

お巡りさんもたくさん。

何?何?と思っていたら、午後5時からは、還幸祭。

四条通の御旅所にある神輿が八坂神社に帰る行事があったのでした。

31日の疫神社夏越祭まで、いろいろな行事があります。
京都市観光協会 祇園祭の主な行事

床も出ているし、夏の京都はまだまだ楽しおすえ~。

旅日記。静岡へ。どら焼きは旅の味

予定通りに原稿が仕上がらず、結局夜中までやって、

旅の支度をして、よく眠らないうちに乗った新幹線。

車内アナウンスの「間もなく名古屋です」

の〝名古屋〟のアクセントが、名古屋風になっているのに気が付いて、

ようやく旅感が増してきた。

 

高校時代からの友人に会いに、静岡・袋井市へ。

とくに観光をするというわけでもなく、友達に会うためだけの旅。

おしゃべりをして過ごす1泊2日。

 

新幹線を浜松で降りて、友達と合流。

その友達の息子が出ている水泳の大会を見学するために、「トビオ」という名前のプール施設へ。

50メートルプールと、25メートルプール、飛び込みの設備まである素晴らしいところ。中学生の大会がこんなところで?浜松市すごい!とびっくりしていたところ、壁にある「古橋廣之進記念」の文字を見て納得。

〝フジヤマのトビウオ〟と呼ばれた古橋廣之進は、現在の浜松市出身だそう。

でも、あれれ。いくら何でも、浜松からは富士山は見えないんじゃ。

と思い、調べてみると、〝フジヤマのトビウオ〟というのは、1949年、全米選手権に出て、400m、800m、1500mの自由形で世界記録を打ち立てたときに、アメリカの新聞で

「The Flying Fish of Fujiyama」と称されたことに、由来しているそうな。

Fujiyama は彼が日本人だったから、イメージでそういったのかもしれないけれど、たまたま静岡つながりになってしまったのだね。

東京オリンピックもあるし、ここから、友人の息子含め、第2、第3のトビウオちゃんたちが世界に飛び出していくのでしょうね。

 

その後は、友人宅でおしゃべりしたりしてのんびり過ごす。

高校時代の話、彼女の子どもたちのこと、故郷のこと、

「定年後ってどうする?」とか。

10代から、20代も30代も通り越して、そんな話をする年になったかとしみじみ。

来月、彼女の一家は海外赴任でアメリカへ。

想像もしてなかった展開だけど、家族で乗り越えようとしている姿がたくましいなと思った。

福岡の片田舎から始まった私と彼女の人生。高校時代、英語が大不得意だった彼女が、アメリカに住むことになろうとは…。人生って、自分で決めた場所以外にも、導かれて進むこともある。きっとそういう巡り合わせが今回の転勤なんだと思う。

私の人生の旅路はこの後どこへ向かうのかな。

 

翌日、掛川駅から新幹線に乗る前に、

「桂花園」というお店で買ったお土産を彼女が持たせてくれた。

「桂花園」は、明治から続く、「丁葛(ちょうくず)」という、くず湯のお店。

ベーシックな「くずゆ」のほか、ゆず、ショウガ、茶といった味のバリエーションがあり、

これをお湯で溶かすと、くず湯ができるのだそう。夏はそれを冷蔵庫で冷やして食べるといいらしい。

なんとも東海道の宿場町らしい名物。

旅人が街道の茶屋にきて、くず湯を飲んで一服。疲れを癒し、エネルギーをチャージしたんだろう。旅に名物はつきものですよ。

(写真奥に映っているのは同店で販売している最中)

くず湯は家に帰ってやってみるとして、

その店に売っていたというどら焼きが、ものすごい美味だった。

大きさはやや小ぶり。薄めの生地には、しっかり焼き色がついていて、

その少し焦げたような苦みと、豆の風味が強く残った素朴な粒あんの甘みとちょうど合う。

これも昔からあるのだろうか。

もしそうならさぞかし明治の旅人を魅了したに違いない!と確信。

友達に見送られて、新幹線でぱくりとどら焼きを食べる。

まだ家には帰らない。

次の目的地は、広島。

 

私はまだ旅の途中なのです。

 

 

 

 

今日のお茶のお稽古。7月7日七夕。「力は必要なだけ、必要なところで」

五月晴れというのは、本来、梅雨の晴れ間のことを言う。
五月は旧暦の5月で、今でいう、6月。
今年は6月に雨が少なかったのに、7月に入って雨の日が増えた。
しかも、豪雨。
旧暦のころの、季節を楽しむ気持ちの余裕を持つのは、難しい。

 

金曜日はお茶のお稽古。

雨降りだった先週と違って、
葦戸越しの庭は明るく、白い壁が光って、
木々の葉が風に揺れるのが見える。

室内にも、陽が差し込んでいて、
壁に建具の筋のとおりに影絵ができていた。

そんな爽やかな景色が目の前にあるのに、

今日はいつもに増して、体が硬い。

 

「そんなに力入れなくても、落ちないでしょう?」

確かに。先生の言うとおり。
袱紗(つまりは布)を親指と人差し指でつまんで持つだけなのに。
なぜ、こんなにビッチリ持ってしまうのだろう。

竹製の柄杓。
左手で持っているのだから、右手は支えるだけで良い、のに。
なぜ、ぎゅっと持ちたくなるのだろう。

きっと、毎日、24時間、何事においてもこんな感じなのです。
どうりで肩こりがひどいはずだ。

 

私の後に、だいぶ年上の生徒さんが来られて、私に一服入れてくれた。

その方は、風貌からして、穏やかな感じで、

腕や指、背中。私が注意される伸ばすべきところが

一見、ズバッと伸びてはいないような気がするのだけれど、

とても柔らかで、きれいだった。

そして美味しいお茶だった。

 

「腕を伸ばせばいい」「肘をはればいい」と言うものではないのだ。

(今の私は、それをする必要があるのだけれど。)

 

その方は、もちろん、伸ばすべきところは伸びているのだけど、

「伸ばしてます」という感じがしない。だから美しい。

力を抜くって、そういうことか。と思った。

抜くと言うか、抜ける。それも自然に。

私には、動きのなかに「無理」がやまほどあるから、力が抜けない。抜こうと思っても。

 

お茶って、いちいち人生に置き換えられて、グサグサと刺さる。

その境地に達するまでに、あと20年はかかるでしょうな。

 

でもそれも、自然なことかと。

 

 

 

 

檸檬とハヤシライス。丸善京都本店のこと。

 

京都人はコーヒーが好きです。
老舗の喫茶店があったり、
個人で喫茶店を開く若者がいたり。
京都には、独特の喫茶文化があるような気がします。
もしくは、昔はどこの街にもあった風景が、
まだ残っているのかもしれません。

とはいいつつ、私の行きつけは、なんだかんだスタバです。
事務所の近くには、烏丸三条と烏丸六角にスタバがあり、
気分転換に出かけていき、こうやって原稿を書いたりしています。

今日は、六角のスタバ。
隣にある六角堂が見えるようになのか、一面ガラス張りになっていて、

六角堂がショーケースに入っているような、
いや、
ショーケースに入っているのはスタバのほうか。
不思議な場所です。

さて、最近、梶井基次郎の「檸檬」という文庫本を電車の中で読んでいます。
京都の丸善が登場する短編小説」として、私のなかにはインプットされています。
よく、そうやって、丸善京都本店を紹介する文章にも書いてあります。
私も書いた記憶があります。
それなのに、読んでなかったのです。
ごめんなさい。

そのことを、先週、丸善へ行って思い出しました。

京都BALの地下1階と地下2階にある丸善京都本店。

1階からエスカレータを下りていくと、書棚が並んでいるのが上から見られて、
ここの広さがよくわかります。
大きな大学図書館のような、アカデミックな雰囲気が好きです。

京都の丸善は、1907年に、現在の場所よりもちょっと西の場所=三条麩屋町で開店しました。
(その後、移転し、2005年に閉店→2015年に復活)

1907年は明治40年。「檸檬」が発表されたのは、1925(大正14)年。
そのころの京都のことが書いてあるのかな?と思って読み始めたらビックリ!

5ページから始まって、13ページで終わってしまいました。
短編小説とは聞いていましたが、そんなにあっという間とは。
そんなことも知らなかった自分にもビックリ。

何やら欝々とした感情を抱えた「私」が、
二条寺町あたりの八百屋さんでレモンを買って、
三条麩屋町(たぶんね)の丸善に置くのです。

「そうか、8ページ分くらいのことかな」とも思いました。
絶妙に。

梶井基次郎は昭和7年に31歳で亡くなっています。
大正時代の初めの若者って、こういう一面があるのかと、
ぼんやり、そんなことを思っています。

もちろん、この文庫にはほかにも短編小説が入っていますので、
続きを読んでいるところです。

ふたつめは「城のある町にて」です。

正直、まだ面白さが分かりません。

が、読書百遍。

分かるまで読まないと、一生分かりません。

 
さて さて、

丸善に行った日。本を2冊購入し、地下2階にあるカフェでお昼ごはんを食べました。

丸善の創業者・早矢仕有的(はやしゆうてき)が考案したと言われている(もちろん諸説あり)
ハヤシライスです。

私が食べたのはオムハヤシ。サラダ付きで1200円ほどでした。
色は茶色が濃いめです(写真は実物よりも赤くうつってしまいました)。
見た目通り、コクがあって、ほのかな苦味も。
ちょっと大人なというか…。

そう!アカデミックな紳士が、ピンと背筋を伸ばして、優雅に食べていると似合いそうでした。

元祖の味を再現しているそうです。
明治・大正のモダン洋食を思いながら、ひとりで背筋を伸ばしたのでした。

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