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日々のできごとやお知らせ

ホノルルマラソンに「出てみました」。 ハワイ日記vol.1

延々と続く人の波。

しんどい。
足痛い。
暑い。
頭痛い。

こんなに苦しいのに、なんでこんなことしているのだろう?

と、誰もが思うのだそうです。
だけど、終わった後にはもう一度やろうと思うのだとか。
2017年12月10日。ホノルルマラソンに出てみました。
「出てみました」という表現が本当にしっくりきます。

前々から出たかった、というわけではありません。
マラソンなんて全く興味がありませんでした。
取引先の方に誘われて、完全にその場のノリで、出ることにしたのが1月。酔った勢いってやつです。

一度「やる」といったことをやらないのは嫌だ、という性格が災いして、本当に出ようと、申し込みをしたのが、4月。
スポーツジムに通い始めたのが、6月。
でも、頑張っても週に2回しか行けず。
ランニングは10キロが最長距離。

・・・のまま、ホノルルに出てみました。

こんな感じで(隣でトリミングされてるのは妹)。

 

なんとかゴールにたどり着いたとき、

完走できた安堵とともに、

こみあげてきたのは、「考えが甘かったぁ」という反省の気持ち。
そんな、ホノルルマラソンの一日です。

 

 

トラブル続きの前半。あわただしいフルマラソンデビュー。

夜中の2時起床。9時ごろベッドに入ったものの、普段そんなに早く寝ないので、眠れるはずもなく、2時間寝たか寝ないか。
しかも! 前夜に、朝食にとおにぎりとバナナを用意していたのに、おにぎりを食べ忘れる始末。早くも嫌な予感。

4時ごろスタート地点へ。ツアー会社が主催するストレッチに参加しようとするものの、トイレの列に並んでいてできず。不安は募るばかり。

5時、スタート。まだ夜はあけておらず、暗闇に花火があがってお祭りさわぎ。

写真を撮る人が多くて前に進めない。後方に並んでいたので、本当のスタート地点を通過したのは、15分後。

海沿いからダウンタウンへジョギングより遅いスピードで走る。真っ暗だけど、街はクリスマスイルミネーションでキラキラ。テーマパークのようなきらびやかななかを大勢が走ったり、歩いたり。だんご状態。
最初から歩いている人もいるので、私でさえ、人を抜く必要があり、まっすぐには走れない。

 

4㎞あたり、6時半ごろ。最初の給水地点でサングラスをなくしたことに気づく。探しに戻ったりして、10分ロス。この先が思いやられる。

そして、ワイキキビーチへさしかかるころ、空が白くなってきた。
夜が明ける。

お腹がすいてしまったので、ABCストア(コンビニみたいな店。ホノルルの至る所にある)でバナナを買って食べる。また5分ロス。
後から考えたら、このときバナナを食べてなかったら、と思うとぞっとする。きっと倒れていた。

10㎞すぎ、カピオラニ公園で休憩。両足の親指にマメができかかっていたので、絆創膏を貼る。

早くも膝痛。 持参したアンメルツ的なものを塗ったら少しマシになった。

忘れずに栄養ゼリーを食べる。これは1時間おきに必須。
この先、30㎞走ってこの公園に戻ってきてゴール。最初のランナーはもう帰ってきてきている。
なんとなく走れそうな気がしてしまった、7時10分すぎ。

コースはダイヤモンドヘッドの上り坂へ。走って制覇する。うれしい。まだ走れてる。
帰ってくるランナーと続々すれ違う。みんなダッシュするように駆け抜けていく。すごっ。

ダイヤモンドヘッドを下りると、高級住宅街。ここのあたりは気分爽快だったような…。
10㎞から先は練習していない未知の世界。
16か17㎞あたりでハイウェイに入る。折り返してくる浅田真央ちゃんとすれ違う。
カワイイ。ちょっとほっとする。いいなぁ帰り道で。

ここからハイウェイは7kmも続く。景色に変化がなく、単調極まりなく、ときどき少し傾斜がある。しかも向かい風。進めない。
20㎞地点まで走ったところで、後半の体力を考えてウォーキングに変更。
荷物が重たく感じてきたので、持っていたペットボトルの水は飲んで捨てた。

 

 

それでも背中を押してくれるものがある。後半は痛みと暑さとの闘い。

ハイウェイの途中でお腹が痛くなってきた。水を飲みすぎたか。休憩所はハイウェイを下りるまでない。
今から考えると、午前中の涼しい時間帯はそんなに水は要らなかった。
単調、単調、単調。変化のない道をひたすら歩く。なんの楽しみもない。太陽がまぶしい。頭が痛くなってきた。

ハイウェイをおりると、また海が近くなった。ここからまた高級住宅街をぐるりと走ってこのハイウェイに戻って来なければならない。

足のマメが痛くなってきた。

休憩所で、「May I help you?」
と声をかけられる。
「I need ワセリン!」

使い方が正しいかは分からないけど、ワセリンをたっぷり塗って絆創膏を5重にする。
背負っているリュックの紐が肩に擦れて痛い。これもワセリンを塗る。手がベトベト。そんなことかまってられない。膝痛は我慢できる程度。いや、もう分かんなくなったのかも。

25㎞地点。10時半。この先はとっておきの作戦開始。音楽の力に頼ることにする。
ミスチルに励ましてもらいながら、試しに再び走ってみる。走れる。でもすぐに気持ち悪くなってきた。暑いせいだ。
無理せず歩くことにする。大丈夫、足は動く。
音楽作戦はなかなか良い。
沿道で街の人が応援しながらお菓子や果物を配ってくれる。
塩味のきいたプレッツェルがおいしかった。

ハイウェイに戻ってきた。

風がやわらいだ。

いつのまにか12時を過ぎていた。

音楽作戦がきいて速足順調。しかし休憩で止まるとなぜか気分が悪くなる。リズムが変わるとよくないのか。ちょっと怖い。
何もかも暑いせいだ。いや、暑い時間に歩いてる私が悪いんだ。

とうとう歩道のベンチに座り込んでしまった。

すると通りがかりの黒人男性に
「Are you OK?」と聞かれる。
大丈夫だと答えると、コースに戻ってこいよ!と励まされる(もう英語忘れた)。
ここで戻ってなかったら、やめたくなったかも。助かった。

30㎞到達。

「あともう少し」だと思った。大きな勘違い。
暑すぎる。頭から給水の水をかぶる。何回も水をかぶって、ずぶ濡れ。見られた姿ではありません。悲惨、悲惨。
動きがにぶくなってきたから足にもかける。ふくらはぎが痛い。でもすぐ乾く。
日陰のないハイウェイがまた単調、単調、単調。

救急車が忙しく、あっち行ったり、こっち行ったり。この辺りから脱落する人が増え始めた。
休憩所以外にはスタッフはいないので、コース上でリタイアする方法は、バイクで巡回している警察官に、具合が悪くて救急車を呼んでもらうしかない。

それ以外は前に進むのみ。

35㎞。すでに12時半。ここのあたりを走っていた真央ちゃんを見たのか。速いなぁ。あれは何時間も前のこと。

またしても高級住宅街を通って、ダイヤモンドヘッドを目指す。「あと少し」と思った反動で、ここからが異常に長い。

太ももがおかしくなってきた。顔も上がらない。アスファルトしか見えてない。速足はもはや無理。歩いてるのが奇跡。
休憩所にも寄りたくない。とにかく「あと少し」だから前に進みたい一心。

 

家から偶然出てきたマダムに

「Keep going!! GO! GO!」

って、手を大きく振りながら、大声で言われた。

死にそうな顔してたんだろうなぁ。お母さん、ありがとう。

前を向かなくては!
またダイヤモンドヘッドを上る。しんどいけど、この山の向こうがゴールと思えば、なんてことない。
不思議なことに、傾斜のきつさは全然覚えてない。だた、ただ、長いだけ。

ぞろぞろぞろぞろ。たくさんの人が、無言で坂を上ってる。
みんな苦しそう。

下りきると、何時間も前に絆創膏を貼った公園が見えてきた。
ゴールまで、まっすぐ、公園の中をすすむ。
走れないけど、上を向いてみた。
空が青くて、道の両側に、葉っぱがたくさんついた木が続いてる。気持ちいい。

テントが見えてきた。

ここがゴール。

スタートしてから9時間3分21秒。午後2時3分。

 

ようやく苦行から解放。
続く>

ホノルルマラソン公式
URL
http://www.honolulumarathon.jp/

東京日記 ギャラリー&書店巡り

なんだかねぇ。なかなか書く気にならなかったんです。とか、大先生みたいなこと言ってみたりして。

いろいろなことを考えていると、あっという間に10月が終わってしまった、というのが実感です。

 

10月の初めに東京に行きました。

私あまり、東京へ行ったことがなかったのです。用事がなくて、興味もなくて。「すっごい都会が延々続いてるんでしょ」。逆に言うと、それだけなんだろうなって思っていました。「何でもあるけど、何にもない。どれも同じなんじゃないの」とか、思っていました。ごめんなさい。間違っていました。

行ってみると、全然そんなことありませんでした。

都会実感編でいうと、地下鉄に乗ろうとしても、すぐに電車が来て便利。結構移動しているはずなのに短時間でいろいろなところへ行ける。しかも、駅の名前がどれも知ってる地名。行ったこともないのに。築地、銀座、六本木、渋谷、恵比寿…行ったこともないのに、知ってる。初対面の地名があまりないから、なぜか安心してしまう。日本全国に流れている情報って、東京中心なんだなぁ(それはなんか嫌だけど)。

到着は夜。一人旅だったので、ホテルの近くの蕎麦屋さんに晩御飯を食べに行きました。そこには白い三角巾を頭にした店員さんがいて、西の方から来た私にはビックリ仰天の黒々としたスープのおそばを運んできてくれました。恐る恐る食べてみると、美味しかった。思いのほかしょうゆ味はきつくなく、なぜこんなに黒いのか?不思議でなりませんでした。スープも飲んじゃうくらいに美味。ううむ。なぜ黒いのだろう。

私のほかには、お客さんはもうひとグループ。サラリーマンのおじさま方が、5人で小さなテーブルを囲んで、天ぷらや油揚げをつまみに、焼酎を飲みながら、若者の愚痴を言っています。

「最近の若いやつはブランドものとか買わないんだよ」とか大きな声で。

服飾関係の方なんでしょうね。でもなんだか和みました。大阪とか京都にもいますから。そういうおじさま。

そして、深尾多恵子さんのライブへ向かったのでした。(レポートは行った後ですぐにアップ済みです)

 

そして翌日は、書店やギャラリーを見に行きました。

今後の自分のお仕事の参考になるような、情報や刺激を求めて。

ここからが今日の本題。訪ねたスポットを感想を交えてご紹介。

 

作って店先で売る。これって商売の基本

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

渋谷にある企画編集会社であり書店。「奥渋谷」にあるそうで、渋谷駅から歩いていくと、かなり距離がありました。徒歩15分でついたかどうか…。でも、観光客でもあるので、「へぇ~渋谷ってこんな感じなのか」、香港のザワザワした感じとか似てるなぁと思いつつ。緩やかな坂を登った先にありました。通り側に本や雑貨の販売スペースがあって、ガラスで仕切られた向こう側が会社のよう。編集者さんでしょうか、たくさんの方々が本を作っていました。奥で作って手前で売る。自分の見えるところで売る。なんだか、パン屋さんとか、お弁当屋さんとかと同じ感覚。そういうのってすごく大事だと思いました。(もちろん売っている本は、さまざまな出版社のものです。感覚のお話しですよ、カンカクの)

 

「この本おすすめです」の、本気度が伝わる

森岡書店 銀座店

東京で知り合った編集者さんに、「ちょっと変わった本屋さんとかギャラリーとかありませんか?」とたずねたところ、教えてもらったのがこちら。1週間にある一冊の本とそこから派生したモノのみを扱う本屋さんです。私が行ったのは、週末の閉店間際。今週の一冊は、ある写真家さんの写真集。しかもその写真家さんがいらっしゃいました。「はじめまして」と握手をして、作品について話をしてくださいました。なにせ、前情報がなく、いきなりの出会いだったので、購入するには至りませんでしたが、書店、著者、消費者、この3者のすごくダイレクトな結び付け方! あたたかく1冊の本に向き合って、その本を送り出せる…。お店の方と少しお話をさせてもらって、東京って(都会って、人がたくさんいるところって)、こういうスタイルが成立するところが、うらやましい、贅沢、やっぱいいところだな、と、すっかり東京好きになった瞬間。

この記事に書店のことが詳しく紹介されています。私も行く前に、これを読んで、そういうことか!と思っていきました。

「森岡書店」が銀座でたった一冊の本を売るワケ』Yahoo!ライフマガジン編集部 2016年11月5日の記事

 

見るしかできないなら、たくさん見よう

ギンザ・グラフィック・ギャラリー

森岡書店に向かう前に立ち寄ったギンザ・グラフィック・ギャラリーでは、「組版造形 白井敬尚」(2017年11月7日まで)という展示が行われていました。ライターが書いた文章や写真やイラストをデザインするのを「組版(くみはん)」と言います。活版印刷時代の言葉だそうです。もはや、実物の「版」を組んではいないのでその言葉を使わない人も多いでしょうが。つまりは、紙面を作ることです。私は広告の仕事から入ったので、本のデザインにはまだ分からないことが多いのですが、自分で本を作ったりするときは、読みやすくて、素敵で、内容と合うことを大事にしたいと思います。それをデザイナーさんに伝えねばなりません。手を動かしてデザインすることはできませんから。そのためには、いろんな人の作品を見ることが勉強です。とにかく、美しいものを見て、目を肥やすしかありません。このギャラリー、撮影OKで、たくさん写真も撮ったのですが、やっぱりアップするのは控えます。だって、私が東京まで行って、せっかく目を肥やしたんだもの。

アーツ千代田3331

こちらで開催されているイベントで京都のブックデザイナーさんの作品が出展されていたので、見に行きました。会場は元中学校。京都でも元小学校を活かした空間がありますが(あぁ、立誠小学校はなくなっちゃう…)、こちらでも、元教室で、展示イベントが行われていたり、カメラ講座が行われていたり。カフェもあって。生き生きと使われていました。

展示イベントは、「ニューフェイス’17」(終了しています)。ブックデザインに関わるクリエイター団体「日本図書設計家協会」に近年入会したフレッシュな方々の作品を発表するもの。「この本見たことある!」というのが何冊もあって、こんな方にお仕事お願いできたら…とか、野望が膨らむのでした。

 

というわけです。さて、ここからが大事。私は何をする人ぞ?

自分で自分のことが楽しみになってきた、10月でした。

 

 

 

目の前で、次々と音楽が生まれる―圧巻の深尾多恵子ライブ(東京)

東京に来ています。

目的はいくつかあるのですが、10月5日、ニューヨークから帰国中のジャズシンガー・深尾多恵子さんの東京でのライブへ行きました。

ニューヨークへ深尾さんを訪ねてから、ちょうど一年(ニューヨークライブの記事はこちらに)。

そして、春のライブを京都で聴いてから約半年(2017年の5月のライブの記事はこちら

「別人」といったら、大げさですが、そのくらい、また進化していました。

最近、新しい歌をたくさん仕込んだそうで、ライブでは初めて聞く曲が中心。

相変わらずの、きれいな英語と、伸びのある声。

さらに、今回実感したのが、そのパワフルさ。

前から力強さはあったのですが、前と違うパワーが備わったみたい。

声に力強さが増したのか、彼女に自信が増したのか。それは私にはわかりません。

とにかく圧倒されっぱなし。音符を自由に操っているような、ゆるぎない歌声でした。

彼女の音楽の世界観がしっかりと確立されている、私は素人ですが、そんなふうに感じました。

ジャズって、年齢を重ねるごとに、成熟していくんだなぁ。そういう意味でも大好きな音楽です。

もちろん、彼女の努力の積み重ねがあってこそ。

音楽という長い道をコツコツとひたむきに歩いている深尾さんは、私にジャズを通して、人生を楽しむことを教えてくれる人です。

彼女とは同年代。ジャンルは違いますが、見習わねば。進化、したい!

 

さて、そのパワフルさ、ですが。

一番前の席できいたってのもある…かもしれません。

いつもは、撮影をしたりしてるので、後方や舞台袖できくことが多かった私ですが、

今回は、せっかく東京まで来たし、がっつり聴くぞ!と最前列に陣取りました。

(だから、写真はiphoneで撮影したもの)

前に深尾さんに、「ジャズは、前の方の席で聴いた方がいい」とアドバイスされていたのです。本当にその通り!

歌詞をかみしめて歌う深尾さんの表情はもちろんのこと、

ピアノの鍵盤をたたく指先、リズムをとっている足の動き、

時折、目を見合わせたり…

ミュージシャンたちの息づかいまで伝わってくる臨場感。

本当にみなさん楽しそうに演奏しています。

ジャズは、即興で、その時の空気を表してる音楽。

「今まさに、ここで音楽生まれてる!」

そう感じて、ワクワクしっぱなしでした。

こんな距離で聴けるなんて、本当に贅沢。

最前列って意外と最後まで空いているので、本当にもったいない。絶対座るべき!と確信しました。

特に初めて行く人は、ぜひ前に座ってみてください。きっととりこになりますよ。

 

演奏データ>

2017年10月5日Akiba Tokyo TUCにて。

【メンバー】深尾多恵子さん(Vocal)   井上智さん (guitar) 田中裕士さん(Piano)  マーク・トュリアンさん (Bass)

また、このメンバーの演奏、聴きたいです。

ニューヨークにも行きたい!とウズウズします。

 

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そしてそして、実は、せっかく東京に来たので、今後の作品作りの勉強にと、書店やギャラリーをまわっています。

地理的なことがよくわからないので、とにかくグーグルマップに誘導されて歩く、歩く。

その成果は、また別の機会にブログにアップしたいと思います。

刺激的な秋です。

 

蓋を開けたら、白いご飯とちりめん山椒。

すっかり?やっと?秋めいてきましたね。

むっとした空気に覆われた8月が嘘のように、カラッとしいい風が京都にも吹き始めました。

今日は、器のお話。

20代のころ、結婚したてて、よく友達とやっていたのが、雑貨屋さんめぐり。

結婚して、小さいながらも自分の家(社宅ですけど)を持つと、食器やちょっとしたインテリアなどなど、

私の好みでまとめられるのが楽しくて、やたらとこまごまとしたものを買っていました。

今はもう、すっかり落ち着きまして、世は断捨離。いかに捨てるかに苦心します。

特に雑貨屋さんめぐりをして、勢いで購入したものは、現在の私好みと合わず…。

棚の奥に、追いやられています。

 

食器はいまだによく買いますが、

30代の後半からは、「これを買う理由があるか」吟味することにしました。

よくよく気に入ったものしか買いません。

それも、基本的に1つずつ。

食器棚の都合と、テイストの違いを楽しみたいので、1柄1枚です。

「買う理由があるか」というのは具体的に言うと、「何に使うか」「何が似合うか」。

以前和食屋さんを取材していたとき、店主の方が、

「3種以上の料理が合う器しか買わない」とおしゃっていました。

でないと、器だらけになってしまうから。

料理ごとに器が1種類ずつ必要だと、大変です。

そこで、私は、2種類は考えてみることにしました。

これが意外と楽しいのです。

 

最近のお気に入りは、骨董品屋さんで見つけた、蓋つきの黄色のごはん茶碗。

写真では分かりにくいのですが、やや小ぶりで、かわいらしいたたずまいに一目ぼれ。

これは、もちろん、ご飯を入れることが用途ですが、

見た瞬間、少なめにご飯をよそおって、薄味のちりめん山椒をかけた姿が似合う!とトキメキました。(トキメキ理論も採用)

山椒の緑色とごはん茶碗の黄色がさぞ似合うでしょうと、心の中で絶賛。

さらに、緑が似合うなら、納豆ご飯にしそもふりかけよう。これで2品(と言ってもご飯ですけど)。買いです。

小さな野菜の炊き合わせも似合うんじゃないかと、考え中。作らないといけない…。

 

これもコーディネート、みたいなものでしょうか。

靴やバッグを買うとき、「どの服に合うかな」とか、「どこへ行くときがいいかな」とか

考えるのと似ています。

 

それと、もう漆がはげかかってるのですが、アンティークの漆塗りの小皿も気に入っています。

これ、柿ピーが似合うでしょ。と思ったのです。

料理じゃないけど。いいんです。

あと、コーヒーを出すときに角砂糖も似合うな。よし、買いです。

こんな風に、1枚ずつ買うので、統一感のない食器棚になってしまいますが、

眺めていると、コレクション感がして、満足します。

ちなみに、

新しいものよりも、古いもののほうが、何かひらめきます。

そのモノが歩んできた歴史を感じるのでしょうか。

古いと言っても、昭和のはじめとか、行っても大正あたりまで。

どこかの誰かが作って、誰かが使ってきた器を、平成に私が引き継ぎます。

 

京都は、骨董品屋さんやアンティークショップがたくさんあります。

ふらりと入っては、妄想しているのが、楽しくてたまりません。

 

 

 

黄色いごはん茶碗を購入したお店
proantiquescom
URL
http://proantiquescom.jp/index.html

夏の旅日記。端っこの心意気。鹿児島<後編>「恐るべし、薩摩パワー」

メインイベントは「仙巌園」見学

私たち夫婦は、旅行に行くときにあまり計画を立ててない。旅行に行くことは決められても、あっという間に当日になってしまって、何も決めらていない、というのが真実だけど、だいたい何も決まってない。でも、今回は短いスパンの2回目だし、ガイドブックも買って、テーマを決めた。「薩摩藩を学ぶ」である。なんとも、中年で地味な私たちらしい(笑)。来年の大河ドラマは西郷隆盛だし、ちょっと予習をしておこうと言うワケ。

それで、向かったのは仙巌園。「せんがんえん」と読む。ここは前回行けなかったし、なんと、世界遺産。「明治日本の産業革命遺産」といって、2015年7月5日に世界遺産リストに登録されたばかり。長崎の軍艦島がよく話題になるけれど、その時には、この仙巌園のほか、山口県や静岡県など、さまざまな文化遺産が登録されています。

とはいえ、仙巌園は「磯庭園」とも呼ばれる薩摩藩の別邸。なぜ、軍艦島とひとくくりにされて、世界遺産にまとめられるのか。

そこに、私の知りたい、薩摩藩の底力があるのです。

 

ここからは、ちょっと歴史のお話にお付き合いくださいませ。

この仙巌園は、とてつもなく広~い庭と大きな日本建築(御殿)からなる。敷地面積5ヘクタールものお屋敷。今は、お土産屋さんとか、ミュージアムなどが立っているけど、昔はきっと今よりももっともっと広大な庭だっただろう。
目の前には錦江湾と桜島、そして背後には切り立った山が迫ってくる立地。位置的には、鹿児島中央駅から車で20分くらい走った、市街地からさほど遠くない場所にある。

作ったのはもちろん、薩摩のお殿様。島津光久(19代当主=2代藩主。*)によって、1658年によって築かれたそうな。関ヶ原の戦いの半世紀後。大阪冬の陣も夏の陣も終わって、もう戦の時代ではない。これから長く続く江戸時代が、最初の落ち着きを見せるころかな、と想像してみる。長く続いた血なまぐさい戦国の世の終わり、大きな別邸を作るほどに気持ちもお金も(?)余裕があって、平和な時代の夜明けを象徴しているような穏やかさ。
*薩摩藩の藩主は、関ケ原以降を正式に数えるのだそうです。薩摩の島津家そのものは、鎌倉時代から、薩摩・大隅・日向のあたりの守護という御家柄なので、当然ながら当主の数が多い。

薩摩藩の本拠地となる城は鹿児島城(通称「鶴丸城」)。仙巌園よりも市街地より。西郷隆盛が最後にたてこもった城山のふもとにあり、なんと、天守閣のない、平城タイプ(*)。薩摩と言えば、九州の雄よ。なのに、堀はあっても天守閣はない。なんで? 時代劇を見ていて、へんだなぁと思っていたのだけど、ないのです。館(やかた)スタイル。
その理由は、wiki調べによると、江戸幕府への恭順の意を示すためだったとか。城を建て始めたのは、1601年。関ヶ原の戦いの直後。関ヶ原の戦いでは、島津は西軍(石田光成側)に属して負けているから、そうそう派手なことはしにくかったのでしょうかね。とはいえ、いざとなれば、背後の城山に逃げられるので(その名も〝城〟山)、絶妙な配置と妙に納得。実際に、西郷隆盛は城山の洞窟に立てこもるわけだし。
*城山も含めて「平山城」としたりする説もあるらしい。つまり諸説あり。

話がそれました。その本拠地である鶴丸城から、お殿様が船でやってきていたという仙巌園です。
庭には巨石で作った石灯籠があり、こんなのどうやって運んだんだろうか。

裏山の大きな一枚岩(本記事1枚目の写真の山に小さく見える岩)には「仙尋巌」と白い文字。アップ写真がコレ!これ、人が彫ったのです。こんなところに、どうやって??

とにかく大規模。海に向かって立つ、大邸宅です(どうしても「大」という字が連続する…)。しっかし、夏の炎天下、庭園を歩くなんて…想像を超えました。ものすごい暑さ。射すようなというか、押してくるような太陽の光。おかげで途中で食べた鹿児島名物「白熊アイス」が最高に美味しかった。これも夏ならでは、というべきか。

仙巌園の入場料(1000円)と別に、御殿見学のオプションツアー(プラス600円)にも申し込みました。御殿は、明治時代に鶴丸城が焼失してからは、島津家の住まいになった時期もあって、いわば、お殿様のお宅拝見! 着物を来た女性が、細かく説明しながら案内してくれ、お抹茶とお菓子をいただいたりして、雰囲気もばっちりです。

御殿は平屋建ての大きな日本家屋で、廊下も畳。海と桜島が見える部屋がもちろん、お殿様のお部屋です。お殿様の居住空間は一段高くなっていたり、釘隠しのモチーフが桜島大根やコウモリ(実は縁起がいいものらしい)だったり。ここに、島津斉彬とか西郷隆盛も来たのかしらね~、来ただろうね~と、妄想しながら歩くと、たまりません。ほんの、たった、160年くらい前ですから!

 

なぜ、ここが「産業革命遺産」なのか

さて、今回の旅のテーマ、「薩摩藩を学ぶ」ために、ここに来た理由は、本当は、この御殿や庭園の方ではなくて、この広大な敷地の中で、行われていた近代化の事業を知ることが目的。ここ、仙巌園には、世界遺産に言われているような、「産業革命遺産」が多く残されています。

それには、幕末の歴史を紐解かねばなりません。僭越ながら、ざっくり説明しますと・・・

幕末と言えば、メインキャストは、薩摩と長州の人々が多いですよね。その薩摩藩の中心人物の一人が、西郷隆盛を見出した島津斉彬(「しまづなりあきら」と読みます。11代藩主で28代当主)です。

彼は藩主になると、この仙巌園のある広大な土地にいろいろな工場をつくる一大プロジェクト「集成館」を始めます。鉄、ガラス、造船、紡績…。美しい(そして高価な)薩摩切子も、その1つです。
島津斉彬が藩主になったのは、1851年。海に面した薩摩に伝わったのは、1840年のアヘン戦争で、清国がイギリスに敗れ、不平等な条約を結ばされたことだったでしょうし、1853年には、ペリーが浦賀にやってきます。
この仙巌園から海の向こうに見た大国の気配。というか、きっと、薩摩には足音が聞こえていたのです。

仙巌園の門を入ったところに、いきなり鉄製の大砲がどーんと置いてあります(もちろん復元)。

ここには、反射炉という鉄を溶かす炉がありました。大名の庭園に工場って、似合わない気もしますが、それだけ、いかにも、殿様直轄事業って感じがしますね。

そして、その近代化の実力を試す日は意外と早くやってきます。斉彬が亡くなった(1858年)あとの、1863年。薩摩藩とイギリスが錦江湾で戦いになります。「薩英戦争」です。
鹿児島県対イギリスなんて! 今では到底、考えられません。でも、当然本気です。
この時代、世界の大国として君臨していたイギリス。薩摩藩の近代化事業で作り出した砲台がどの程度活躍したか…。いろいろ調べてみると、イギリスにも打撃を与えますが、薩摩藩も大きな被害を受けます。街が焼かれ、集成館も破壊されてしまいます。これにより、薩摩藩は「攘夷」が難しいことを悟り、明治維新の方向性が変わっていく…。そんな歴史の舞台が、このあたり、なのです。 この薩摩の経験が、それに続く日本の歩みに影響を与えていったのですね。

今、仙巌園に行っても、その戦いの痕跡がある、というわけではありませんでした。でも目の前に広がるのは、当時と変わらない錦江湾と桜島の景色。今のようにインターネットがない時代に、その向こうに世界を感じたなんて。薩摩の人はすごいな、としみじみ思いました。

集成館の事業や薩摩藩の歴史については、仙巌園のとなりにある、「尚古集成館」に展示してあります。そちらでゆっくり展示を読んでお勉強して(クーラーがきいていたもので。。。)、両方の場所で、たっぷり3時間ぐらい使いました。

さらに、近くに薩摩切子の工場とギャラリーがあり。こちらも見学。実演はその日にはしていなかったので、ビデオで作り方をお勉強。なぜ、高価なのか、よ~く分かりました(笑)。ちょっとお土産に1つ…という気軽なものではありません!そんなことも知らず、訪れたのですけど…。目の保養になりました。

 

鹿児島グルメ。魅惑の豚骨ラーメン「こむらさき」

すごいね!すごいね!と、歴史好きの私にとっては、濃密な午前中を過ごし、市街地へ戻り、腹ごしらえ。

「鹿児島に行ったら何を食べたらいい?」と、お茶のお稽古に来ている、鹿児島出身の人に聞いたとき、「こむらさきのラーメン」をオススメされていたので、直行。

天文館というアーケード街にある本店へ。昭和25年創業というので、古い建物かな?と思っていましたが、とってもきれいなビルでした。メニューは、ラーメンとご飯のみ(大盛りとかチャーシュー入りとかは選べたかな)。いさぎいい!

1階の真ん中にオープンキッチンのような厨房があって、そこをぐるりとカウンターが囲んでいます。丸見えのキッチンで、女性が麺をゆでて、テーブルの上に並べたラーメンどんぶりにどんどん入れていって、そこへ、男性が茹でたキャベツや、シイタケ、ネギ、チャーシューなんかを手際よく入れて、スープを流し込む。テキパキとした流れ作業が完璧。

そして食べてみてオドロキ。豚骨スープなのですが、福岡で食べる豚骨スープとはちょっと違います。もちろんキャベツやシイタケは、福岡のとんこつラーメンには入っていませんので、そのせいかな?と思ったり。いやいや、なんだか、スープの後味が違うのです。独特。なぜ?豚が有名だから、やっぱ鹿児島の豚骨は一味違うのかな?? 看板には、「豚骨、カルビ、丸鶏、椎茸、昆布を煮込んだスープ」と書いてありました。なるほど、これが鹿児島の豚骨ラーメン! よくよく知っている福岡・長浜の豚骨ラーメンとは、全然別のものとして味わえて、楽しめました。しかもキャベツが入っているので、なんだか健康的(笑)。チャーシューもさすが鹿児島、豚肉感がちゃんとあります!黒豚ですから。

これが鹿児島の豚骨ラーメン全体の特徴なかしら。もっといろいろと食べて回らないといけませんね(また鹿児島に来なくては…)。もしそうなら、鹿児島の人が福岡の豚骨食べたら、逆の感想を持つのかも。物足りないと思うかもしれんなぁ~。でもそれはそれで味わってね。

 

このあとは、桜島を車で一周。さらに、夜は居酒屋で普通に唐揚げを食べ、再び大浴場でいい気分になって就寝。(夜泣き蕎麦は食べなかった)。翌日は霧島神宮、焼酎蔵の見学、と盛りだくさん。夏の鹿児島を満喫して大阪空港へ帰ったのでした。

 

九州という島の最南端で、世界を見て、日本を見た薩摩の人々。知れば知るほど、幕末から明治の人たちって、真剣さが違うなと感心します(この心意気、現代の政治家の方々にも…)。とにもかくにも、暑い鹿児島も体感しておいてよかったです。きっと、来年の大河ドラマがより楽しめるでしょう!

今回お勉強したことをまとめると、こんな感じ!

黒板で雰囲気出してみました(笑)。

長文にお付き合い、ありがとうございました!

仙巌園にて! アツッ!

訪れたスポット
仙巌園公式サイト
URL
http://www.senganen.jp/
グルメ
鹿児島ラーメン専門店こむらさき
URL
http://www.kagoshimakomurasaki.com/

お問い合わせ

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